イフ
―― 1 ――
別の日の放課後、哀は学校の図書室の扉を開ける。少しカビくさい匂い。でもそれに親しみを覚える。同じ長い時を生きている者同士として。
「あら、灰原さん。今日はなぁに?」
「ちょっと調べ物を。それからこれ」
司書の女性の前で、小振りのPCをひらひらと振ってみせる。
「ん、もう……困ったわね。なるべくバレないようにしてよね」
声をひそめて答える。本来なら持込禁止であるが、彼女は哀だけには大目に見てくれるのだ。
「わかってます」
唇の端で微笑みながら、哀はその前をすりぬける。
すっかり私の言いなりになったわね。あの噂もガセではないって分かったし。まぁどうでもいい事だけど。
数ヶ月前 奥の資料庫で、哀は彼女と体育教師のKとの情事を目撃している。以前から生徒たちの間で口の端に上っていた噂とはいえ、目撃談となれば話は別だ。哀のここでの自由な振る舞いは、その口止めと引き換えというわけだ。
ここ一ヶ月の間、哀は博士に内緒の作業を、ひそかにここで行っている。
隅のほうの席につき、PCを接続して作業を開始する。どうやら今日はここに、先客はいないらしい。階下のグラウンドから、生徒たちの声がかすかに届くだけだ。
それからしばらく、哀は忙しくキーボードを叩き続けた。
「あの、灰原さん。申し訳ないけど、ちょっとの間、もし誰かきたらお願いできないかしら?」
少し経って、哀はおずおずと声をかけられた。
「えぇ、構いませんよ。職員室から呼び出しですか?」
「あ、ちょっと。ちょっと、ね……」
意味ありげに笑いを作る彼女の顔から、哀はだいたいの事情を察する。
「どうぞ、ごゆっくり」
そう言って再び作業に没頭する。
さっき彼女にかかってきた電話は、たぶんいつもの痴話げんかだわ。行き先はもちろん、職員室ではないはずだけど。今頃どこで言い争いをしているのかしらね。それとも、もう仲直りの真っ最中かしら。
前に目撃したあのふたりの営みを、哀は脳裏に蘇らせる。
Kのほうは力任せみたいであまり魅力を感じなかったけど、彼女は中々いい声で喘いでいたわね。そのせいで私はあれに気づいたんだもの。
薄めに開いていた資料庫のドア、聞いただけで行為の最中だと知れる女の喘ぎ声、それにつられてつい覗き見た。せわしく時を惜しむように求め合う男女の姿、ふだんは至極まじめそうに装っている司書が、立ったまま男の腰に片足を絡ませているのが印象的だった。
めいっぱいたくし上げられたタイトスカートの奥から覗く、ガーターベルトを見て、意外な気がしたと同時に、なかなかやるじゃないと思ったりしたのだ。
やがて哀の頭の中で、喘いでいる女の顔が、自分のものとすり替わる。
……ダメよ、そんなに乱暴にしては……あぁでも、すごく、いいっ!
心の中の妄想を呼び覚ましてしまった哀の手は、いつの間にかキーボードの上で立ち止まっていた。相手の男が、体育教師のKから他の存在にすり替わって、その顔が頭の中で像を結ぼうとするとき、哀は我にかえった。
まただわ、しょうがないわね。苦笑しながら、心の中で舌打ちをする。制服のスカートの中で潤んで疼き始めているものを、どう処理しようかと考える。
小学生の幼い体の中に、成熟した女性の感性が入っていたこと、その現実はこれまで哀の精神に、何度も不均衡な危うさをもたらしていた。記憶の奥底にある快楽の残滓と、現実の感覚との隔たりに、いつも もどかしさを感じていた。
だが肉体が順調に成長を続け、昨年 再びの初潮を迎えて以来、その2つの感覚が急速に接近しつつあるのを、今の哀は感じ取っている。
今日は誰もいないようだし、たまにはこういうのもいいかもしれないわ。
チェックのスカートを少しめくって、奥にするりと手を忍ばせる。
困ったことだわ、またはきかえなきゃ。
ショーツの湿り具合に触れて、もう一度 舌打ちする。
―――さわって欲しいんだろ? 無理してねーで正直に言えよ、灰原
―――いい、コナン君……イイッ!
妄想と一緒に、下着のすき間から指を入れて、膨らんだ蕾みを指で捏ねていく。コナンの顔が、先日 公園で会った新一の顔と重なった。
―――今だけ、今だけなんだから。お願い、来てっ!
―――ばーろ、わかってるよ。もう、待ちきれねーんだろ?
その哀願は、いつもは押し隠している内なる心の叫びだ。
上履きをはいた足を爪先立ちにして、哀はほんの少し足を開いた。頭の中で自分に押し入ってくる新一の動きに合わせて、ひくついている襞のすき間に、自分の指をずぶりと滑りこませる。
「くっ……」
洩れそうになる声を必死に抑え、指を奥まで動かして、内部の熱さを味わう。断続的に襲ってくる波のような快感に、椅子の背に寄りかかって目を閉じる。喘ぎ声こそ洩れていなかったが、湿った音は少しずつ大きくなっていった。
くち……くちゅ、くちゅり……もっと……
昂ぶっていく感覚に身を任せていた哀は、そのせいで近づいてくる人影に気づくのが、ほんの一瞬遅れてしまった。
「ここにいらしたんですね、灰原さん」
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