シャッター ―― 4 ―― あくる朝、不思議な気持ちで目覚めた。秀行と、気持ちだけはいつでも繋がっているつもりだったけど、昨夜のような感覚は始めてだった。距離を飛び越えて、体ごと 繋がって興奮しているような。こんなの悪友に話したら、「脳内錯覚だよ、裕未!」って一蹴されそう。 それでも私は秀行から、カタチにならない素敵な贈り物をもらった、と思った。私からは秀行に興奮をあげられただろうか。単なるオナネタ、と言ってしまえばそれまでだけど。他の誰でもない『彼』だから、もしそうであったら嬉しいと、素直に思う。 ドギマギするような秀行からのメールを読んだ後、それでも昼間の疲れからか、いつの間にか眠りに落ちていた。覚えていないけど、たくさん夢を見たような気がする。 起きぬけに寝ぼけた頭でトイレに行って、用を足したあとペーパーで拭くと、ぬるりとした感触があった。その生々しさに驚いて、それから赤面した。 これは昨日の興奮のなごり? それとも夢の中で私は何かをしていたんだろうか。恥ずかしさと自分に対する嫌悪感、そんなのが交錯する。興奮はできても、抱きしめてはもらえない寂しさを、あらためて噛みしめる。 今もしここに秀行がいてくれたとしたら、私は何をしたいだろう。熱いキスをする? セックスをする? それとも……。 後からきつく抱きしめられて、秀行の体温だけを背中で感じとりたい。それさえあれば他には何にもいらない。天気もよくて爽やかな朝なのに、なんとなく泣きたい気分でそう思った。 それでもそんな喪失感は、月日とともに薄れていく。『会えないこと』にだんだんと慣れていくのが、ホッとするようなもの寂しいような。けだるい気分だけで、ルーティンの日常生活をこなしていく。 「裕未ちゃん、最近ハツラツとしてないなぁ。彼氏と喧嘩でもしたの?」 そんな上司のからかいにも、曖昧に笑ってごまかすだけ。今の私は、糸の切れた凧みたいだ。ただ風に流されて。 「あの、お電話ですけど」 盆休み直前の忙殺されている最中、私と秀行との事情を知っている後輩が、ウィンクしながら受話器を渡してくれた。 「あ、裕未? 急だけど来週そっちに帰ることになった。短い休暇だけど」 受話器から聞こえる少しだけ笑いを含んだ秀行の声。いつか見た夢の続きじゃないよね。隣りでこっそり聞き耳たててる後輩に、ほっぺたつねってもらおうかな。 どうやら私は凧になっているのに飽きて、風船に乗り換えたようだ。足元からふわりと浮いてしまったような気持ちで、耳慣れた懐かしい声を聞いていた。 秀行が帰ってくる日、緊張感と嬉しさがごっちゃになって、着る洋服を選ぶのが一苦労だった。あれこれ悩んだあげく、麻混の生成りのワンピースに決定。この猛暑だもの、しかたがない。 出迎えのために車を出した。秀行はアパートを引き払っての転勤だったから、今日はとりあえず私のところに泊まって、明日の朝 実家に帰る予定と言う。その予定を聞いただけで、胸がどきんとした。 到着ロビーに現れた変わらぬ人影、同じ笑顔と、同じ姿。でも少し髪を短くしたのかな。五ヶ月前の残像と重ね合わせながら、そんなチェックも楽しい。 「お、ただいま」 「うん、おかえり。疲れた?」 キスも抱擁もなく、淡々と普通の会話を交わす。ドラマのようにはいかない。でも一緒にいるだけで気持ちが暖まる。 ちょうどお昼どきだったので、何が食べたいと聞くと、 「すし、寿司〜。回転ずしでいいから、腹いっぱい!」 と秀行は答えた。笑いながら、会えなかった空白を埋めるようにたくさん話をして、それから2人でたくさんお皿を積み上げた。 「じゃ次は食後のコーヒー。裕未特製で頼みます」 食事が終わるとおどけたように秀行が言う。 「はーい。了解しました。マンデリン入り特製ブレンドでよろしいですか? お客様」 走り慣れた道を、特別な景色をみるような気分で、軽快に車を走らせる。 帰宅した部屋はすこし暑さでむっとしていた。急いでエアコンを入れて、やかんを火にかける。部屋の中をぱたぱたと動き回っていたら、秀行にうしろから抱きしめられた。 「ひ、秀行、コーヒー……」 「あとで」 短く言って、秀行はそのままじっと動かない。うなじにピタリと寄せられた顔、吐息がくすぐったくて胸の鼓動がおさまらない。 「くすぐったいよ。それにあたし、汗だくだもの」 「いーの、このままでいる。いま裕未の匂いを嗅いでるんだから」 「わ、やだ。シャワー浴びてくるッ」 「いっちゃ駄目だ」 逃れようとする私を、痛いほどムギューッと強く抱きしめて、少し強い口調で言う。そしてその後に小さく呟いた。 「写真の裕未には、匂いがない。汗臭くても全部、裕未の匂いだ。ぜんぶ」 その言葉に背中がふっと溶けた。伝わってくる秀行の体温をダイレクトに感じて、タバコと汗が混じり合った秀行の匂いを、鼻腔から胸いっぱいに吸い込む。 うん、私もあなたの匂い、嗅いでいるよ、いま。 昼下り、部屋の中はまだ暑い。こめかみから汗が流れる。その汗を耳元で、秀行の舌が掬いとる。 「ひで、ゆき……」 ゆっくり首を回して、秀行を見つめる。間近にあった唇が、求めるように近づいた。もっとあなたの顔を見ていたい。目をつむるのがもったいない。そう思いながら、唇を合わせた。 荒々しく、私の唾液を汲みあげるように、唇を吸われる。まっすぐに私に向かってくる気持ちそのままに、舌が口の中を自在に暴れ回る。こすって絡まって、誘うように離れる。追いかけて舌を絡めると吸い取られ、私の中の欲望も剥き出しにされていく。 首をひねった窮屈な体勢で、私達はそんな長いキスを交わした。 Back Next |