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 苦痛 2



 隣室からテレビの音が途切れた。ドアのあく気配、男のひそやかな足音。
 誘うような視線、肩を抱きよりそって話しかけてくる。求められているのはわかっている。それでも素直に応じないのはなぜか。自分でもわからない。もっと強く欲してほしいという自尊心か。簡単に応じる、飢えた尻軽な状態だと思われたくないだけなのか。

「だから その作業はやめて、こっちに来て……」
 業を煮やして、男が後ろから私の左手をとる。引きずられ くるりと椅子が回転して、半身だけ男のほうを向く。視線はまだモニターを注視している。
「まだキリが悪くて終わらないのよ。あとにして」
 断ち切るように肩越しに言葉を投げた。そのうち振りほどこうと、男に預けたままの手から、暖かな感触がした。手にくちづけて……いる?
 振り返った私の視線をとらえて、男は悪戯っぽくにやりと笑った。上目づかいに私を見つめたまま、手の甲にくちづけた唇から小さく赤い舌を伸ばす。
 ぞくり。引っこめようとした手が、彫像のように固まった。
「な、何を……」
「ふふ。まだ仕事中なんだろう? 続けていいよ」
 呟きながら男はふたたび舌を伸ばした。指先から爪の横を通って指の間へ、そして隣の指先へと戻っていく。尖らせた赤い舌が、かすかに皮膚の表面に触れて、ゆっくり移動していく。たったそれだけのことなのに。
「や……やめて……」
「どうかした?」
 感じる……なんで? 思いがけない感覚に驚いているうちに、舌はまた這っていく。
 指先から戻ってきた舌が、指の間をちょろっとくすぐった。
「……ひっ!」
 そこからじわじわと這いのぼる。手の甲に浮いた青い静脈にそって、とても緩やかに。痺れるような快感が、さざなみのように肩まで押し寄せる。上目づかいに私を見つめる男の瞳を、もう正視できなかった。湿った舌の感触が、手の甲を行きつ戻りつして這いまわる。
「いや……なんで……」
「知ってるよ。感じるところは全部」
 ぞわり。男に与えて自由にされているのは、片手の手首から先だ。日常的に人目に触れごく当たり前に使っている場所から、性感を得ている事実に私は動揺する。
「感じてなんか……いな……」
 そんなはずはない。少なくとも私は知らない。
 赤い舌の動きから目が離せなくなる。じれったいほど緩慢な、虫が、いや軟体動物が這うような動き。虫酸が走るような不快感と紙一重の、だがそれはまぎれもなく快感に違いない。どうしてと意識すればするほど、皮膚感覚はより鋭敏になっていく。
 男はむやみやたらと、手を舐めまわしているのではない。指の両脇、指の付け根、そして手の甲、それも指へと伸びていく放射線状の骨のすき間を、重点的に責めあげているのに、やっと気づいた。
 感じる器官そのものになったように、手指の感覚が変質している。薄い皮だけになった私の指先から、ちょっとずつ何かが侵略して犯していく。
 左手の先から生じた小さな波が、腕から肩へ、胸元へと伝わって、着ているシャツに触れたその頂点も尖りを帯びる。私は首をふって小さく叫びをあげた。
「……だめぇ……」
 揺れた髪の毛先が首筋に触れることまで、心地よい刺戟となっている。そんなまさか。
「感じるんだよ、どこでも……ほら」
 男は無防備に投げ出されていた、私の片足を手にとる。指先で足の親指を撫で、足の甲につつと触れる。
 じわり。左手から生じた波と足の先から起こった波が、体の中心でひとつになる。
「そろそろ、こっちに来る気になった?」
 ベッドに腰かけた男が、微笑みながらそっと私の手を引く。それに抗う気力はどこにも残されていなかった。男をじっと見つめたまま、膝の上に倒れこむ。つまらない意地を張るのはこれで終わりにして、
「そうね……」
 溶けてほぐれていく気持ちに素直になろう。
 感じる波に体を預ける。もっとどろどろに蕩けあうために。
「ここがとても熱いよ。どうして?」
 横抱きにした私の体の中心を、服の上から男の手がまさぐって指摘する。
 答える代わりに、男の首筋に両腕を伸ばす。まだ何かをいいたげな、お喋りなその唇を一刻も早くふさぎたくて、私のほうからくちづけを求めた。

 何か すがるものがほしくて、強く唇を貪った。下唇に吸いつき、舌を差し入れる。
 その勢いに一瞬たじろぐ気配がしたが、すぐに両腕が力強く背中を抱きしめた。痛いほどの腕のしめつけが息苦しいけれど、この腕の中ならどこより安全なのだと、つい思ってしまう。
 応酬する舌の動き。頭の芯が痺れるような唾液の甘さを感じながら、もつれあうように倒れこんだ。唇や舌だけでなく手も足も全部、衣服のまま絡めあって抱きあう。
 素肌に触れられないのがもどかしい。しばしのあいだでも体を離すのが惜しくて、少年や少女の頃のように苛立たしく、服のボタンやファスナーに手を伸ばし互いに解いていく。
 私たちは何をせいているのだろう。もはや焦る必要もないのに、昂ぶった気持ちと体を押しつけあい、そこにあるとただ確かめるために肌に触れる。
 男の唇が喉元をおだやかに滑る。微かで柔らかな唇の感触が、さきほど手に受けた愛撫を皮膚に蘇らせて、熱い吐息を漏らす。
「はぁっ……あぁ……んん……」
 口をついて出た喘ぎのようでいて、私はこれを男に聞かせているのだと思う。
その証拠に男の耳元に唇を寄せて、喘いでいるのだから。感じているの、狂いそうなの、火がついてしまったのと、胸の内でうわごとのように呟いて。

 二の腕に引っかっているシャツの袖が、動きを制限してひどく邪魔だ。振り払って片袖を落とし、指先で体の間にあるそそりたつ強張りに、下着の上から触れる。手のひらに伝わる塊の感触と熱さが、自分に向けられた欲情の証のように思えて、微笑んで指先を走らせる。
「ずいぶん積極的なんだね」
 いいながら、男の唇は胸の尖りに達していた。
「うぁ……く、くぅっ!」
 息が詰まるほどの快感が全身に走る。片方の尖りを舌先で転がされ、甘噛みされる。のけぞって突き出してしまった胸は、もっと欲しいとねだっているようだ。下着の上から花芽を刺激するべく差し込まれていた男の片足を、両足で抱え込む。
 感じるほどにもどかしさが募る。
 目を開けて体を起こし、まとわりついてたシャツを脱ぎ捨てた。訝しがる男の視線の前で、ショーツを引きおろし足首から抜く。わずかばかり外気に触れたそこに、涼しさを感じる。きっと濡れている。確かめる必要もないほどに。
 私の動きに呼応して、男も手際よく自分の衣服を取り去る。視線が絡んだ。
 両足を投げ出して座り、
「…………き、て……」
 ほんの少し足を広げて男を誘った。


「何がほしい?」
 問われるということは、選択の余地があるということか。
 私はいま何が欲しい? 目の前でそそり立つ肉茎か、それとも。
 照れた気持ちを隠すため、もういちど顔を寄せくちづける。
「……指で……」
 目をあわせずに耳元で囁いてねだる。もっと昂ぶりたい気持ちを抑えきれない。
「ふぅん、指なんだ。意外だね。これが欲しいのかと思った」
 私の手を脈打つものへと導く。
「まだよ……まだなの。後で……」
 貪欲さをくくっと喉の奥で笑って、それでも湿った場所に男の無骨な指が伸びる。潤んだ割れ目を、指で開いていく。形の無骨さとは正反対の、焦れるような指遣い。その指が膨れた粒を擦るときが待ち遠しくて、喘ぎながら熱い雫を垂らす。
「でも不思議だね……ずっと前は、これが怖かったんだろう?」
 無意識の手遊びのように、怒張を撫でさする私の手。上から大きな手の平で包みこんで男が訊ねる。
「そう……怖かった。とっても……」
 口にふくむことはもちろん、手に触れることもできなかった頃があったと、遠い記憶をたぐりよせる。
 男の指が小さな粒に伸びた。痺れるような刺戟が走る。
「いい……やめないで……もっと……」
 肩を震わせて、手の中の塊を強く握りしめた。男が低くうめく。記憶の引き出しを刺戟する声。あの時も、手の中に同じような昂ぶりがあって、頭上からうめく声がした。



 さかのぼる記憶。何も知らなかった少女の頃のこと。

 ひとりで庭で遊んでいた、十歳のわたし。
 母は夕方まで帰ってこない。ランドセルを降ろして、留守番をしていた放課後。季節はいつだったろう。思い出せない。
 憶えているのは、庭から隣家へと続く竹やぶの脇の細い道。
 そこに立っていた、見知らぬおじさん。
 人がめったに通らない場所だったので、ひどく驚いた。おじさんのズボンの中から、見慣れないものがぶら下がっている。
 怯えて逃げ戻ろうとするわたしに、おじさんが声をかけた。
『待って。怪しいひとじゃないんだよ。おじさんは今とても困っていてね』
 なぜ逃げなかったのだろう。その声がとても優しかったからだ。
 自分のものをしごきながら、おじさんが手招きした。
『これね、病気なんだ。お嬢ちゃんが手伝ってくれたら、治るんだけどな』
 おじさんが手にしているものは、風呂でみる父のものとは、色も形もちがうように見えた。
『怖くないよ……ほら』
 病気なら治してあげなくちゃ。おじさん、かわいそう。
 おそるおそる伸ばした小さな手に、柔らかく暖かいものが触れた。おじさんの大きな手が上から包んで、ゆっくりと動いた。
『そう……とてもいいよ……』
 うしろで笹の葉が風に揺れて、さやさやと鳴っている。
 おじさんの口からハァハァと小さな声がする。見上げると、おじさんはうっとりと目を閉じて気持ちよさそうだった。
 おじさんとわたし、世界にたったふたりしかいないような、静かな昼下がり。

 どれだけ時間が経っただろうか。
『もういいよ。ありがとう』
 おじさんはにっこり笑って、ズボンの中にそれをしまった。
『おうちのひとにはナイショだよ。おじさんとふたりだけのヒミツだからね』



 秘裂を擦っていた男の指が、粒を剥きあげ捏ねまわす。
「あぁっ……!!」
 握っていた怒張を手放し、男の肩をつかんで叫びをあげる。回想が途切れて、現実に引き戻される。手の中に残った昂ぶりの感触。あのときと同じ。


 小道の向こうにおじさんの姿が消えてしまっても、手のひらには暖かさが残っていた。とてもいけない事をしたような気がして、大急ぎで家の中に駆けこんだ。
 おじさん、病気だって言ってた。撫でてあげたら、とても気持ちよさそうだった。
 でも……。
 最後の言葉が耳にこだまする。ナイショだよ……ふたりだけのヒミツだからね。
 ヒミツだから、誰かに話しちゃいけないんだ。家族にも、友だちにも。
 おじさんとわたしだけの、ヒミツの遊び。
 そして私は、記憶の引き出しにそっと秘密をしまって、鍵をかけた。幼い心が抱えるには、大きすぎる秘密だったから。


「あの夜、泣いていたね。声もださずに……」
 雫のあふれる入り口に、指をわずかに沈めて男がいう。もっと奥へと誘うように、襞が絡んでいく。指が動くたび、あからさまな水音がする。
「んっ……そう……いやぁ、もっと……」


 引き出しにしまった秘密を、私は大人になるまで思い出すことがなかった。あの日偶然に記憶がよみがえったのは、夜にみたニュースが引き金だったのだろうか。
 『小学生女児にいたずら』のテロップ。就寝前にぼんやりとTVの画面を眺めていた。
 ベッドに潜りこんで、連想ゲームが始まる。
 小学生……いたずら……いつの時代もなくならない犯罪、おそらく表面に出ない事件はもっと多いのだろう……私の子供の頃だって、たしか…………。
 竹やぶの前でおじさんと会った光景が、フラッシュバックで脳裏に蘇った。
 それまで忘れていたのが不思議だった。タイムスリップしたように、十歳のわたしがそこにいた。手にしたものの暖かさや、色や形まで、つぶさに思い出すことができた。背後で鳴っていた笹の葉擦れの音まで。
 そう……あのあと家に帰ったわたしは、えたいの知れない不安な気持ちにおそわれて、手を洗っていた……。
 困ったような顔をした少女が、石鹸を手にこすりつけ、水道の蛇口をひねる。
 手が汚れていた訳ではなかった。おじさんは撫でられるだけで満足して、精すら放たなかったのだから。
 それでも心の中に棲む少女は、いつまでも繰り返し、冷たい水で手を洗っていた。きれいになったように見えても、その左手に何かが染みついて落ちない気がして、小さな手が冷えきってしまうまで、いつまでも……。
 その光景がせつなくて、いじらしくて、心の中の少女を大人になった私が抱きしめた。もういいの、大丈夫だから、あなたは何も悪くなかったと、呟きながら。
 夜の闇の中で、涙が静かにこぼれていた。


 半ばまで指が中に沈み、また抜かれる。そのたびに私は首を振る。
 こんどは中を掻きまわす動き、音を立てて壁を……感じる部分を、擦っていく。
「はぁっ……」
 堪えきれない声を漏らして、体を揺らす。
「思い出しただけで、怖くなくなるのが不思議だ……」
 焦らして指を遣いながら、独り言のような男のことば。
「……んぁっ……ちがう、の……あっ!」

 ほんとうは“それ”が怖かった訳ではなかったと、今ならわかる。竹やぶの前で、おじさんが気持ち良さそうに喘ぐのが、あの時わたしはとても嬉しかったのだから。
 畏れていたのは、いけない遊びを受けいれてしまった自分の心だった。知識がないのに、その遊びはいけない事だと、本能的にその頃のわたしは知っていた。
 誰にもいえない秘密を引き出しにしまった時に、“それ”は触れてはいけないもの、怖いものへとすりかわったのだ。

 体の熱が一ヶ所に集中したように、熱く疼いてじれる。もっともっと……と、望みを口にしそうになる。
 男のことばに答える代わりに、私はゆっくりと顔を伏せていく。
 畏れているのではなく、愛しく思っているのだと、伝えるために。


 股間に顔をうずめていく動きは、男をすこし驚かせたようだった。
「……っと、無理を……」
 肩をおさえて制そうとする。黙って顔をあげ、軽く首をふって合図すると、“それ”を唇に咥える。舌でなぶるまでもなく、いきりたっているものを、早く私にちょうだいと、催促するために舌先で愛撫する。
 最初は舐め上げなぶるだけだった舌の動きが、だんだんと激しくなっていく。口元から漏れるくぐもった水音が、みだりがましい行為をしているのだと気持ちをかき立てて、知らぬ間に私は没頭していく。
 深く咥えこんで吸い上げようとしたところで、男が低くうめいて髪の毛に触れた。
「……続けて……いい?」
 その声をもっと聞いていたい。顔をあげ、ねだるような気持ちで訊ねる。
 心の中は、“おじさん”が喘いで嬉しいと感じた幼い頃と、なんら変わっていないのかもしれない。
「いや……だめだ」
 苦笑いの表情できっぱり言うと、男の指がふたたび秘裂に伸びた。
「あっ……」
「こんなに濡らして……足まで、ほら……」
 入り口に浸した指を、眼前にかざす。濡れた無骨な指が、灯かりにきらめいた。
「やっ」
 顔をそむける私の体を押し倒して、指を唇に押しつける。
 この指は悦ばせるもの。私をわななかせ、蕩けさせてくれるもの。自分の雫も味わって、口にふくんでしゃぶり、舌を絡めて愛でる。
「おいしいか?」
 自分の味がおいしいかどうかなんて分からない。でもこの指はとてもおいしい……。
「……おいし、い……はあぁっ!!」
 前触れもなく男が押し入った。のしかかり、きつく肩を抱きしめて。
「痛い、いたいよぉ……」
 口先で訴えて、それでも本当はこれがとても欲しかったのだと知る。痛いほど抱きしめられている刹那、私はここに確かにいると思える。
 壊していいから、もっと激しくして。


 触れあう肌の暖かさを感じて、私はまた少女を抱きしめ泣いていた夜を思い出す。声も出さずに泣いていた私を、驚きつつ男は黙って抱きしめた。心の中の少女と一緒に、少女をかかえていた自分も癒されていく。
『おとうさん、おかあさん……あのね、今日こんなことがあったんだよ……』
 いえなかった言葉を伝えて、少女が心から去っていく。
 さよなら。小さかった頃のわたし。


 男の激しい動きに翻弄され、うねる波にさらわれそうになる。
「だ、だめ……イっちゃう……あぁ……」
「目を開けて。こっちを見て」
 頬をつかまれて、うっすらと瞼をあけた。高みにのぼろうと、薄れかけた意識が引きもどされる。こちらを見つめている視線。感じているところを、舌なめずりするようにあますところなく捉えようとしている瞳。
 目で犯されている。
「い、いや……み、見ないで……」
「閉じちゃだめだ。目を開けていて」
 命じられて、激しい羞恥に背筋が震えた。体の中で、何かが大きく膨れあがる。あふれてとけて、堰をきったように流されていく。繋がっている中心が、自分のものでないように蠢いた。
「み……見ちゃいやぁぁーー!!」
 のけぞる背、口をついて出た叫び。
 その瞬間、私は目を閉じることが出来ただろうか。それすら分からぬまま、浜辺に打ちあげられた魚のように呼吸する。


 男の視線はまだこちらを見つめていた。逃れるように背を向ける。
 余韻でひくついている場所に指で触れ、手のひらで尻を撫でまわす。最後に軽くポンと挨拶がわりに、そこを叩いた。
 もっと…………。
 いま私の体はびくりと嬉しげに反応しなかったか。口にすることができない心の声を、背を震わすことで発してしまったのではないか。
 体は望んでいるのに、男には気づかれたくない。
「叩かれ……たいのか?」
 わかってしまった、伝わってしまった……後悔にも似た気持ちに苛まれる。
「ううん……そんな……」
「嘘だ!!」
 鋭い言葉とともに、打擲が二度 飛んだ。
「ぁうっ!」
 手加減して打っているとわかる強さ。尻に残る痛みは、さしてひどくない。
 いいの、もっと強く叩いて……心の叫びは届くだろうか。
「嘘なんて、ついてな…………ああっ!!」
 容赦ない打擲が、連打で与えられた。ひりつく痛みが全身を覆う痺れに変わる。
「いえよ……叩いてくださいって」
 欲しいのにいえない言葉。口に出したら、そんな事を望むおかしな欲求を持っていると、自分で認めてしまうことになる。それだけは……いえない。
「ちがう……うあ!! ……だ……め、いたい……」
 返事をする暇もない衝撃。部屋中に響く、男が打擲する音。すでに快感と呼べる域を超えている。私の肌は真っ赤に染まっているはずだ。叩いている男の手のひらも、きっと痺れているだろう。
 それでも私の心は、もっと続けてと望んでいるのだ。
 突っ伏して身悶えする私の後ろで、男が掠れた声で囁く。
「他の誰かに言うんじゃない。俺に言うならいいじゃないか」
 じりじりとする尻の痛み。唇を噛む。痺れながら思考がゆっくりと回っていく。
 かまわない……かもしれない。私がこんな望みを持っているとは、他に誰も知らないのだから。ここで……だけなら、いってしまっても……。
「……た……叩いて……くださ……い……あぁっ!!!」
 尻を突きだし小さな声で、私は望みを口にする。それは自分に対する免罪。赦しの言葉かもしれなかった。
 続く打擲は太腿にまで及んだ。叩いている彼自身の、手のひらの痛みを想って、シーツを引きつかんでそれに耐える。
「俺の前だけ……俺の前で、だけ……だ」
 低い声で呟かれた言葉に、男のひそかな独占欲を見いだして、私はひどく安心する。打たれて痛みしか感じていないはずなのに、骨が砕けるほど抱きしめられているように思えるのは何故か。
 痺れる痛みに重なって、叫びだしたいほどの歓びがこみあげた。


 打擲の衝撃で、放心したように身を投げ出している横に、男がそっと寄り添う。
乱れた髪の毛を指で梳くしぐさは、とても甘い。
 このまま望み続けたら、私はどこへ行くのだろう。心のうちの深淵を覗いた気がして、小さな不安が胸をよぎる。
 それでも髪を撫でる手の暖かさに、今はこれでいいのだと安らぎを感じ、私はまた静かに眠りにつく。




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