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 逆転の構図



 今日はどこかが違う。いつもと違うキス、いつもと違う愛撫の手順。これは何のサインなんだろう? 男に抱かれながら私は少し気になっていた。
 そして友達との会話を思い出したのだ。


「大抵の場合さぁ、馴染んでくるとセックスってワンパターンって言うか、マニュアル化してくるよね。今日はパターン@、昨日はパターンBの変形って感じに。 ねぇ、そう思わない?」
 そう苦笑しながら話してくれた友達、なるほど慧眼だね。
「だから、あー、いま胸を触られてて次はこっちに行くなって、当然わかっちゃうのよね。これって好きなツボを押さえられてるって事だから、嬉しいっていえばそうなんだけど、繰り返されるとつまらなくなるのよ、分かる?」
 うん、そうだね。身に覚えがあってこっちも苦笑する。でもお互いそう簡単に相手が代えられない。どっちもどっちだね。
「でもどこか感じが変わったなぁって思ったら、新しい彼女ができてたって話もあるから ワンパターンはかえって安心かもね」
 ちょっと意味深なセリフで、彼女は会話をしめくくった。背筋がひやりとした。男の心変わりを心配したのではない。「縛って」等という私の要求を、あのとき男はどう受け止めたのだろう。心の揺れを気づいたか否か。それとも男の掌の上で私は踊らされているだけか。


 おんなじ唇、同じ舌で、いつもの指だ。力加減に差はあってもそう大きく変わる筈もなく。貪るようでも焦らすようでもない、何かの意図を感じるような触れ方に、モヤモヤした問いを抱きつつ、身を委ねている。
 あぁ、でもこのキスは違う、確かにどこかが。
「いつもと違う、ね。なんだか」
「ふふっ、どこが?」
 小さく笑いながら、下着姿でうつ伏せになった足の付け根や尻の割れ目を、布地越しに口付けや指で弄ってくる。私の問いをなしくずしにするように。その手には乗らないよ。秘部を覆った薄く淡いピンクの布切れは、男の唾とも自身の汁とも判別つかぬもので、すでにしっとりと湿っていた。
「だって、さ……う、むぐぅ……」
 体をかえされてまたキスだ。男の口から少しアルコールの香りがする。今日はちょっと飲んでいるようだ。でも違いはそこじゃない。
 不思議な感触のキスを味わって『いつものキス』を頭の中でトレースする。普段ならば男の舌は鋭利な刃物のように、しなる鞭のように私の口腔を蹂躙する。唇や舌を痛いほど吸い、唾液を飲み尽くす。
 なのに今は唾液にまみれた唇で、私の乾いた唇を思う存分濡らしていく。押しつけられた薄い唇は、生き物のように柔らかくごく控えめに動く。迎え入れようと半開きになった唇の内側をそっとなぞるように。蝸牛の這うような軽微な刺戟に、体中が痺れていく。ぽってりと丸めた舌が粘液を撒き散らして歯茎をなぶる。
 連想ゲームが繋がった。これは、これはまるで……。
「あ……ダメ、だよ。このキス、いやらしすぎる」
 訴えても応えはない。ゆっくりと舌が侵入し、開いた口を犯す。丸まり膨らみをもって侵入する男の舌は、ペニスそのものだ。ぬめる感触といつもと違う量感から得られる連想が、比喩ではなくそのように錯覚させる。
 まるでフェラチオをしているよう。目を瞑った感覚からの連想だけで、そう感じ取ってしまう自分自身が、ひどく淫らな存在に思えてくる。
「わざとしているんでしょ?」
 男は答える代わりに、太腿を下腹部の土手に押し付けた。繁みの奥で押し潰されたクリトリスが悲鳴をあげる。足で股間を擦られて疼きが広がった。湧きあがった快感を逃さないように男の下肢に両足を絡める。
 舌でいっぱいになった口、熱く潤みはじめた秘部。二通りの感触から、連想がもう一段飛躍する。ぽっかりと開かれ唾液に塗られた私の唇はヴァギナのようで、口中深くまでペニスのような舌で貫かれている。ほら、その証拠に口の端から涎を垂らしているではないか。
 キスを受けながら淫猥な空想にしばし耽る。そして気づくのだ。『いやらしい』のはそんな空想を呼び覚ます男の行為ではなく、感じ取ってしまう私の意識そのものだと。


 唇が離れた。思わず吐息をつく。
「脱いで」
 ベッドに膝をついたまま男が命じる。すでにスカートは脱ぎ落としているので、起き上がってシャツを滑らせブラをはずす。ショーツに手がかかったところで、
「そうじゃなくて」
 制止する声がした。男の意図を理解する。立ち上がって下着をとりはらう景色をよく見せて、ということらしい。抱かれ慣れた関係でも羞恥はつきまとう。視線をはずしあらぬほうを見ながら、立って足首から下着を抜く。恥ずかしさの源は、見つめられる視線を意識してしまうから。忘れてしまえばいい。でもそれができない。
 裸になってしまった事でかえってホッとする。おかしな開き直りだ。
「どちらかと言うと、脱がされるほうが好きだなぁ」
 感想を述べて傍らに横たわる。ささやかなストリップを鑑賞しつつ、男は自分で衣服を脱ぎ捨てていた。
「だからだよ。見られることで濡れるんだろ?」
 当然のように指先で秘裂をまさぐる。指摘されなくても、とうに溢れていたけれど。
 見られていることで濡れたんじゃない、あのいやらしいキスの時から濡れていたの。そう説明しようと思って止めた。自分でも区別がつかないのだから。
「ちがうよ」
 短く言い捨てる。
「ふぅん。お前、嘘つきだな」
 男は喉の奥でクッと笑った。胸に吸いつき潤んだ箇所に指を遣う。唇の先で乳首が荒く擦られ、指先でクリトリスが捏ねられる。
「後ろまで垂れてきてる。ほら、すごい」
 指が出入りし、くぐもった水音をわざと聞かせるように立てている。押し寄せる波に喘いでしまって、会話が続けられない。ひどく悔しい。
 入り口を玩んでいた指が、滑りながら後ろに移動する。あぁ、来る、と思った。
湿った指の腹が、窄まりの中心でピタリと停まる。心の中でそこへの愛撫を期待するものがあった。押し付けられ渦を巻く刺戟、常とちがう声が漏れていた。
 両足が掲げられ、体をふたつ折りにされる。晒された部分に男の吐息を感じた。 恥ずかしい。でも嬉しい。両極端の気持ちを天秤にかければ、そんなところまで愛してもらえる、という歓びが勝る。が、羞恥は去らずに体を慄かせ、頑なな窄まりをほぐすような、柔らかい舌の動きを後押しするのだ。
 恥ずかしい場所であると同時に、そこは感じる場所でもあるということ。私はそれを知っている。体で覚えている。
「ひぃ……ぃぃん!」
 舌が突き入れられた。急ピッチで駆け上がる官能の炎に耐えようとして、指先が無意識に何かを引きつかむ。肉に喰い込む感触に驚いて、瞼をあけた。それは男の足首だった。
「ごめん、つい……」
「いや、だいじょうぶ」
 あらためて男を見つめる。また違和感があった。


 男はベッドの上で膝を折り腰を浮かした態勢で、私を弄っていた。屹立したペニスが宙空で揺れている。キスからの連想がまだ頭の中に残っていた。目が離せなくなる。
 これはきっと口に含んだら美味しいもの。だからしゃぶりたい、舐めたい、咥えたい。
 窄まりから唇が離れて、蜜の溢れる部分に指がおさまる。何度か掻きまわし感じる部分を擦り上げ、淫猥な音とともに抜く。うごめく襞が去っていく指を惜しむ。
「あ、やっぱりこっち」
 着ていく服でも選ぶように、ごく自然に男の指が窄まりをさした。指先が埋まる。
「ん、んッ! んぁッ……」
 浅く入り口を弄する刺戟に、抑えていた声を放ってしまう。続けて奥深くまでを抉る指。背が仰け反った。体の芯が熱くなる。また何かが溢れてくる。
 畳みかけるように、熱く熟れた部分にもうひとつ指が挿れられる。二穴をなぶる指技に溺れていく。
「あぁ……いま両方に指が入って、いるんだよ、ね……」
 至極当たり前のことを口に出して問いにする。
「そうだよ。両側からあいだの壁を刺戟しているんだ」
 男の言葉は体ではなく頭の中を震わせた。時々こういう遊びをする。体に与えられた行為を、耳から聞いて楽しむ。甘美な疼きが全身に広がった。
 依然として私の視線は男のペニスから離れない。いま得ている快感の何分の一かでもそこに与えたかった。頬張ることができれば。だが半身が蕩けてままならない。
 ならばせめて、と手を伸ばし扱きたてる。陰嚢を手のひらで包み軽く揉む。そのまま男のアヌスのほうへと指がたどる。そっと指が窄まりに触れた。
 拒否されるのではないか、と思っていた。男は私のアヌスを弄ることはあっても、自身のを弄られる事を極端に嫌っていたから。
 指先で撫でると男は軽くうめいた。
「いいの?」
「あぁ、いい……続けて……」
 先端から光るものが滲み出す。面白くなってきた。最初から感じていた違和感の正体はこれだったのだ。指を口に含み、唾液で濡らす。そしてまた刺戟する。
「ぉう……あの、な……」
 珍しく口ごもった。相手を嬲ることに長けていても、逆の立場には慣れていないらしい。
「その……舐められるか?」
 男は私から指を引き抜くと、そう訊ねた。
 指技で充分に昂ぶってはいても、達するまでには間があった。そして何よりも、今はこの新しい遊びが楽しい。
「もちろんよ」
 言いつつ窄まりへの責めをやめない。男からの攻めが止んだことで、私の体は自由を取り戻していた。顔を上げてペニスの先端に口づけた。舌先でちろちろと滲み出たものを舐め取る。
 男が舐めて欲しいと言っている箇所は、もちろんそこではない。挿入をせずにゆっくりと愛撫したのも、私の窄まりへの執拗な刺戟も、腰を浮かせた不自然な姿勢も。最初から男は望んでいても口には出せなかったのだ。そう思うと自然に笑みが零れてくる。どんな難問も解けてしまえば仕掛けは簡単だ。
 でもまだ早い。もっと自分から 『おねだり』 してくれなければ。
「いや、その……こ、こっちのほうが良いかな……」
 呟きながら緩慢な動作で体勢を変える。その仕草がひどく可愛いと思った。犬のように四つん這いになって尻を突き出す。贅肉のない引き締まった臀部からのぞくセピア色の窄まり、前を向いて昂ぶっている怒張、この上なく良い眺めだ。 黙って微笑みながら、後ろからその姿を見つめている。そんな格好で何がして欲しいの。
「……舐めて、くれないか……」
 やっとの思いで絞りだすような声、その言葉を待っていた。男の腰に抱きついて、文字通りむしゃぶりつくように顔を寄せる。
「う……イヤじゃないのか? ほんとに……」
「ぜんぜん。それになんだか良い匂いがする……」
「……莫迦。お前、ヘンな奴だな」
 不思議なことに男の窄まりからは、本当に甘い香りがした。シャワーを使ったときの石鹸の残り香だろうか。ひとりで念入りに洗って準備している姿を想像して、愛しくなった。
 甘い香り、良い匂い、とても美味しそう。唇を寄せる。舌先で触れる。
 変なの、甘い味がする。ここは私にとっても性感のあるところ、気持ちいいと感じる場所。だから感じて、いい声を聞かせて。
 男の尻をさすり、手でペニスをしごき、たっぷりの唾液でアヌスを弄る。舐めまわし舌をこじ入れる。静かな部屋の中で、男の低くうめく声と私が舌を遣う音だけが響く。
「指、挿れるよ。いい?」
「あぁ、頼む……うぅッ!」
 口に含んで濡らした小指を忍ばせる。握っていたペニスがひくりと動いた。
「痛かったら言って。すぐやめるから。ね、どう?」
 痛いはずなどないことは知っていた。男の口から気持ちいいと言わせたいのだ。浅い抜き差しを繰り返すと、窄まりは緊張したように私の指を咥え、また緩んでひくつく。
「……大丈夫だ、ぅお……いい……」
 男のあげる声に背筋がぞくぞくした。入り口が柔らかくほぐれてくる。
「今度はもっと深く挿れるよ。奥まで」
 そう宣言して一度指を抜くと、間髪入れず濡らした中指を捻じこむ。浅く深く掻きまわして、指先で感じるポイントを手探りする。
 男が唸った。見つけた、ここだ。
「感じたら声出していいよ。ここが、いいのね?」
 私の声は興奮のあまり掠れていた。目の前で四つん這いになった男が、指を根元近くまでアヌスに受け入れ、ペニスを扱かれ喘いでいるのだ。深く潜った指先で、カリカリと引っ掻くように刺戟する。戸渡りに舌を這わすと、掌の中の怒張がいっそう猛々しさを増したような気がした。切っ先から零れ出した汁で、手が少しぬめる。
「いいよ、このままイッちゃっても。ねぇ……」
 震える声で囁きながら、私は責め続けた。指をストロークさせる。自分の手で男を犯している、という実感が強まる。
 もっと感じてイッちゃいなさい、ほら。
 男のよがる声を聞きながら、眩暈のするようないつもと違う興奮で、私は激しく濡れていた。


 耳元までが火照る熱さに、室温が少し上がったように感じる。
「……あぁ、だめだ、そんなに、したら……しゃぶって、くれ……」
 懇願されることが心地よい。男は愛撫を受けやすいように、体を横倒しにして私の眼前にペニスを晒す。
「出しても、いいよ」
 呟いて頬張り、舌を絡めた。青臭い味が微かに口中に広がる。指先は窄まりを抉り、弄り続ける。男の射精をコントロールしている優越感ゆえか、最初のキスで口淫をイメージしてしまったせいか、頬張ったものが美味しい食べ物のようだ。口の中で怒張が震えるたび、愛しさが増す。
 男のアヌスを弄るたび、体の奥底に消えない火を感じて甘く疼く。濡れそぼった部分も、さっき男の指で弄られた窄まりも。暑いのは部屋の温度ではない。私の体の中だ。
 突っ伏すように口戯を続ける私の膝裏に、男の手が伸びた。指でくすぐり太腿を撫で、自分の方にずるずると引き寄せる。
「……あッ!」
 片足を掲げられて、足の隙間に男の顔が潜りこむ。昂ぶり膨らんだクリトリスが強く吸われて、全身が痺れるほどの衝撃が走る。
 その一瞬で攻守が逆転した。溢れて零れんばかりの蜜が啜られ、窄まりが指で犯される。
「はぅん……いい、あぁ……い、やぁ……」
 顎だけで花芽を擦るような動きに、達してしまいそうになる。続けられる刺戟に、咥えていたものを唇から離し、掌で竿を握りしめているだけ。それでも男からの愛撫の合い間に、時おりぺろぺろと先端に舌を這わす。横臥した状態で互いの性器を唇で慰めあって、窄まりを犯しあう。まるで獣のような、いや、獣でもこんな事はしないだろう。
 意識がだんだんと霞んでいく。どこか頭のタガがはずれてしまったように思う。
「欲しいか?」
 訊ねられて、
「……うん、これ、ほしい……ほしい、の……」
 言葉がするすると口をついて出た。自分ではない他の誰かが話しているようだ。眼はそそり立つ男のものを憑かれたように見つめている。蕩けた体を抱き起こされ、髪の毛を撫でられる感触までが甘い。
「後ろから……して……」
 諾々と、呆けたように自分の望みを口にする。軽く背を押され手をついて、さっきの男と同じような待ち受けるカタチをとる。突き入れられる事を期待して、秘芯がまた溢れた。
 が、男の次の言葉に私は色を失った。
「挿れて欲しければ、開いてみせろ。両手でな」
「い、や……そんな……どうして?」
「イヤなら別にかまわない。俺はお前の犬のような格好を見ながら、ひとりでイクから」
 言いながら、背後で手で扱き立てている気配がする。焦れる気持ちと疑問符が、頭の中で交錯した。
 責めたり責められたり、そんなのはゲームだ。今だけの役割にすぎない。プライドや羞じらいなど、捨ててしまえばいい。至極簡単だ。
 深呼吸をひとつした。目を瞑り、片手をゆっくりと潤む場所に伸ばし、指先でそっと開く。
「片手じゃダメだ。両手と言ったはずだぞ。両手で広げてお願いするんだ。 ここに挿れて下さいって」
 嫌、嫌、いや……そんなのはイヤ。そんな事までして、それを欲しくはない。頭の中がぐるぐるする。いらない、そんな意地悪するなら、もう要らないんだから。
 拒否する意識の奥に、囁きかける声も潜んでいる。欲しいなら受け容れてしまえばいい。魂を売り渡すわけじゃない。もう片方の手を伸ばして、たった一言。
 ベッドに頭を垂れて、額を擦りつけた。視点が変わって、また違う視界が開ける。胸の双丘から下腹部の繁みに向かう一直線の空間、その先には秘裂に添えられた自身の片手が見えて……。
 唇を噛みしめる。ごくりと喉が鳴った。そろそろともう一方の手を伸ばす。瞼を閉じて指先を添え、開く。
「きて……ほしいの……挿れて、くださ、い……ぁああっ!!!」
 奥まで貫かれて、頂点への曲線を一気に駆け上がる。広げた指は蜜にまみれ、抜き差しする怒張を挟んで捉えている。その感触が生々しい。
「よく言えたね。この手はここだよ、ほら」
 うって変わって優しい声音で、私の手に重ねられる手。そのまま花芽を押し潰すように刺戟する。
「やぁ、イっちゃうっ……やあぁっ!!」
「気持ちいいように自分で触るんだよ。休んだら抜いちゃうからね」
「いや、いやいやいや……自分でするから、やめない、で……」
「ここは、どうしようかな?」
 突き入れ擦り上げながら、指先で窄まりを撫でる。
「あ……ぁん……やっ……」
「いらない? 欲しいってひくひくしてるのに」
 何もかも考えられなかった。昇りつめていく気持ち良さだけを欲していた。
「……お尻にも、ほしいのぉ……くださぁいっ!!」
 指が捩じ込まれる。頭頂まで走る強烈な快感の波に揉まれていく。身悶えして腰を振り、体をくねらせる。
「はぁうっ!! だめぇ……もう……」
 男の手が乳首をぎりりと摘まみ上げた。
「や、やぁっ、いやぁぁっ!!!」
 白い光に呑まれる。そこで意識は途切れた。



 目を開けたとき、そばに男の姿はなかった。煙草の香りがする。起き上がる気配に気づいて、ドアの陰から男の顔が覗く。
「気がついた? お茶、飲む? ウーロン茶だけど」
「うん、貰おうかな」
 当たり前のように普通の会話ができることに、少しホッとする。憑き物が落ちたような夢から醒めたような、不思議な気分だ。
「どのぐらい気を失ってたんだろう?」
「ちょっとだよ、5分くらい。久しぶりで興奮した?」
 コップを受け取りながら軽く睨む。
「その言い方はないんじゃない? それを言うならそっちだって」
 ニヤニヤしながら男がタオルを放り投げた。
「とりあえずシャワー浴びてこいよ」
「うん、そうする」
 帰るべき日常があるから仮面を着けられる。マスカレードに興じることができる。男も、私も。冷たい雫を喉に流し込むと、いつもの日常に帰るべく、タオルを手に取り立ち上がった。



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