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 い・た・ず・ら



――  2 ――



 護と同じ空間にいるのは、なんとなく居心地がいい。年が近いこの従兄弟には、黙っていても通じるような呼吸があった。
「まもるー。そこパープルだよ。どうする? 集めてたんじゃなかったの?」
「うーん、考える。……いや、要らない」
「あんたもこの春から中学だよねー。……あっ、ここ家建てる」
「…………うん」
 夕食後、モノポリーに興じるひととき。口数の少ない護は、鈍重そうに見られがちなのだけど。
「もうさ、今年は泊まりに来ないのかと思った」
「来たじゃないか」
 そういって、亡くなった叔母によく似たふっくらした面差しで、優しげに笑った。
 護の家庭環境はちょっと複雑だ。家庭に寄りつかなかった叔父、それを嘆きながら他の男と暮らし始め、その男に殴り殺された叔母。小さかった護は母親の面影すら、うっすらとしか記憶していないのではないか。
 護たちはずっと祖父母の手で育てられていた。遊びにいらっしゃい、とあたしの両親がいうとき、それにはどこか“不憫さ”がつきまとう。
 そんな大人の思惑も全部飲みこんで、護はさらっと生きている。
「そうだけど……」
「遊びに来なかったら、直子ねーちゃん、寂しがるし」
「ふんっ……そんな可愛いこといっても、そこの地代は貰うぞ」
「ちぇ。しょうがねぇなあ……」
 周囲にどんな配慮があったにせよ、あたしは単純に護が遊びに来てくれるのが、弟ができたみたいで嬉しかった。
「あなたたち、そろそろお風呂に入りなさいね」
 部屋の外から母の声が飛ぶ。
「はぁーーい!」
 元気よく護が返事をしたところで、あたしはちょっと悪戯心を起こした。
「ねえ。久しぶりに一緒にお風呂にはいろっか?」
「……ばっ、馬鹿。なに言ってんだよっ」
「ふーん、いっちょ前に恥ずかしがる年頃になったのか」
「お……怒るよっ!」
 こんな風に慌てふためいてる護は、めったに見られない。ゲームを片付けながら、あたしは心の中でちょっぴり舌を出した。


 カラスの行水みたいに、さっさと風呂から上がった護に続いて、あたしも浴室に向かう。鏡に映った裸の自分は、理想とする女性的なボディラインとはかけ離れている。
 ペッタンコでもなく、中途半端に膨らみかけの乳房。ウェストのくびれはいまひとつだし、ヒップにはちょっと丸みが足りない。手足は陽に焼けて色黒で、健康的といえば聞こえはいいが、女の子らしさに欠けている感じがする。
 溜息をつきながらシャワーを浴びる。水滴が体の表面をすべり、股間の谷間で生えそろいつつある恥毛からしたたり落ちる。肉体的な未発達にくらべて、そこだけ存在を主張しはじめた縮れ毛がアンバランスな気がして、あたしの悩みの種だった。
 ふと、あたしはその部分に“毛”を発見した頃――卒業するあたりだったか――を思い出してドキリとした。さっきの護のあわてぶり、あれは生えかけの恥毛を見られたくないが為ではなかったか。
 体が大人になっていく事への気恥ずかしさ。周りの友人との発達の違い。修学旅行でお風呂に入るとき、仮病まで使って入浴しなかった事を思い出した。
 そしてそんな小さな悩みを抱えている護が、微笑ましかった。


 ドライヤーで髪を乾かして部屋に戻ると、護は布団にもぐりこんで本を読んでいた。
 あたしは寝る前の、ちょっとだけ年頃の女の子らしい作業をはじめる。顔や手足にお気に入りのいい香りのするローションを塗っていく。
 あたしにだってもちろん、好きな男の子とかいるわけで。ローションを塗って磨かれた肌が、ほんの少しでも艶やかさを増しはしないかという期待を胸に。
 護がそんなあたしを振り返ってたずねた。
「お姉ちゃん、なにしてんの?」
 パジャマを腕まくりして、熱心に塗っている姿は奇妙に見えたのだろうか。
「ん? ローション塗ってるの」
 あたしは、化粧瓶を振って見せた。
「それは分かるんだけど、なんで?」
「塗るとすべすべになるから」
 ほんとは、すべすべになったような気がするから、だけど。
「へえぇーーー」
 感心した様子の護。そんなに珍しいかな。
 気にせずパジャマのズボンの裾をまくりあげて、作業を続行する。それを興味津々といった感じで、見つめている視線。
 ローションをしっとり吸いこんだ素肌の感触に、あたしはすっかり満足した。首筋にも冷んやりした湿り気を与えたところで、ちょっとした思いつきが閃いた。
「まもるー。これ背中に塗ってくれないかな?」
 こんなに滑らかな感触になるんだったら、全身ぬったらもっと気持ちいいだろう。
それなら暇そうにこっちを眺めている、護に頼んでしまおうという思いつき。
「塗るの? これを?」
「うん、そう」
 言うなりあたしは、パジャマの裾をぴらっとめくって背中を向けた。護はあたしにとってあくまで弟みたいなもので、異性という意識はまったく無かったからだ。
「で、できるかな……」
 意外に気弱なことをいう。
「パジャマが濡れたら気持ち悪いから、ちゃんとめくって塗ってね」
 偉そうに指示を出す。パジャマの裾が肩先まで持ち上げられ、あたしの背はむきだしになった。
 護は瓶のふたを開け、おそるおそるといった風でローションを手にとる。
「冷たいっ!」
 背にぴしゃんと水分がはたきこまれる感触。
「あ……あ、これで良かった?」
「うん、いいの。冷たくて気持ちいいー」
 冷たい水分が沁みこみ、それが暖かい護の手で塗り広げられる。撫でまわされ肌をすべっていく、手のひらの気持ちよさ。
 気持ちいいな……すごく、すごく気持ちいい。自分の手じゃないって、なんて気持ちがいいんだろう。
 あたしはいつの間にかうっとりと目を閉じて、背を撫でる手の感触を味わっていた。

「終わったよ」
 護に声をかけられても、あたしはまだふわふわと夢の中を漂うような、気持ちよさに浸っていた。
「うん。じゃあ、じゃあね……」
 とても気持ちよかった。だから……もっと、もっと……。
 あたしはそのままパタンと、布団の上に仰向けに倒れると、
「こっちも塗って」
 ごく自然にパジャマのボタンをはずし、前をはだけた。
 こんなの恥ずかしいかな。いいよね、弟みたいな護だから。だって自分で塗るよりずっと気持ちいいんだもの。
「ん……うん……」
 護は言葉すくなに返事をすると、鎖骨のまわりからゆっくりと塗りはじめる。
 撫でまわす手のひらが肌に吸いつくようだ。素肌に落としたローションの冷たさが、やがてじんわりと暖かさに変わっていく。
 手が一瞬とまったのに訝しんで、そっと目を開ける。なだらかに膨らんだ乳房の裾で手を休め、護は困ったようにこちらを窺っていた。
 なんで止めるの? 気持ちいいのに……やめちゃ、いやだ。
「続けてよ……」
 溜息をもらしてあたしは呟く。今あたしはエジプトの小さな女王様で、寝台に乗せられ傅かれて、匂いたつ香油を体中に塗りこめられている。そんな錯覚があった。
 護の手がふたたび動き出す。丘陵を丸くゆっくりと撫でまわす。ローションは冷たいはずなのに、肌がだんだんと火照ってくる。
「ん……はぁ……」
 思わず小さな声が漏れた。体の表面が熱くなるのを抑えきれない。背中を撫でられている時とは、また違った気持ちよさがある。
 胸を下から上へ護の手が撫で上げたとき、指の谷間が胸の尖りをかすめ、びくりと電流のような刺戟が走った。
「わ……!」
 なに? いまのは何? カラダがすごく熱くなった。
 でも、でも気持ちイイ。溶けちゃいそう。カラダの奥がムズムズする。
「ご、ごめん……」
 すまなそうに謝る護に、
「いいの……大丈夫。続けて……」
 あたしはせがむように目を閉じた。
 手はまた動き出し、脇腹から臍へと移動する。くすぐったさと気持ちよさの入り混じった感じ。気持ちよくてムズムズして、クスクス笑い出しそうだ。
 ふいに護の手がピタリと止まった。
 不思議に思ってあたしが目を開けると、護は大急ぎで布団にもぐりこんだ。
「僕、僕……もう、寝るからっ!!」
「え?」
 急においてきぼりを食らったような気がして、呆然とする。
「まもる、どうし……」
「おやすみっ!」
 なんか釈然としない。あたし何かイケナイ事をしたんだろうか。それとも本当に眠くなっただけ?
 布団にもぐって、先ほどまでの甘やかな護の手のひらの感触を思い出す。
 もっとして欲しかったな。もっと……。だってすごく気持ちよかったんだもの。思い出すとじわじわとカラダがまた熱くなる。護はそうっと優しく撫でてくれたな。
 隣をみると護は静かに眠っているように見えた。
「寝ちゃったの? まもる……」
 返事はない。心なしか寂しい気がして、布団にもぐりこんだまま乳房に手を触れた。まだ固くて小さめで、あたしにとってコンプレックスの塊の胸。さっき護がさわったように、ゆっくりと優しく円を描くように撫でる。
「う……ふぅ……」
 再び体がとろとろと蕩けたような感じになって、小さな声が漏れてしまった。ひとりで自分の胸に触れている行為が、後ろめたさを感じさせる。護に気づかれていないだろうか。
 それから……たしか、こうしたら……。手のひらで胸の頂を上下に擦ってみる。
 びくんっ!
 さっきより強烈に電流みたいな刺戟が走り、あたしの体は布団の中で小さく跳ねた。
 何してるんだろう、あたし。止めなきゃ……。
 自分がしている行為の意味もわからずに、直感的にそう思った。でももう一度確かめてみたい衝動に襲われる。
 手のひらで上下に、それから丸く。そうか、ここが気持ちいいんだ。尖った先を指先で摘んでみる。コリコリと動かすと、気持ちのよいさざなみが立て続けに訪れた。
「あ……は、ふ……」
 喉がカラカラに渇く。すごく息苦しい。でも気持ちよくって、なんか変だ。
 憑かれたようにしこった胸のてっぺんを弄り続け、最後にキュッと摘み上げた。
「ぁん!!」
 自分の発した声に驚いて我にかえった。隣を見ると、護は安らかな寝息を立てていた。

 なんだったんだろう、今のは。少しの間だけ、自分が自分じゃなくなったみたいだ。体の表面がなんとなく熱くて、夢の中にいるような気分だった。
 パジャマの前をはだけたままだったのに気づき、慌てて布団の中でボタンを留める。息遣いが荒くなっていたので、布団の端を握りしめ大きく深呼吸をした。
 あたし……あたしの胸……自分の体にこんな気持ちいい場所があるなんて、知らなかった。護に触れられてはじめて気づいた。心臓がどきどきして早鐘のように鳴っていた。これが“感じる”って事なんだろうか。
 気持ちいいけど怖い。崖っぷちから下を覗いているような、体の秘密を知った。この日、あたしは“快感”らしきものの切れ端を、こっそり握りしめたのだ。

 体は相変わらず火照っていたけれど、片方の手で胸を覆い隠すように二の腕をつかみ、目をつむって息を整えた。そうしてあたしはやっと眠りにつく事ができた。


 それでもやっぱりあたしは“お子様”だった。急に護が布団をかぶって寝てしまった理由など、このときは全然わからなかったのだから。



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