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 い・た・ず・ら




 エッチなことへの目覚めなんて、どういうキッカケで始まるか、よくわからない。でも何となくモヤモヤとしたもの、多分これなんだろうなぁってのは、わかる。
 自分のカラダなんて、毎日使って鏡で見ているもので、そこから“感じる”とか“快感”なんて感覚が生まれてくるとは、すぐにはピンとこないから。
 だからこれはあたしの、そんなモヤモヤした気持ちを手に入れたころの、お話。



―― 1 ――



「直子おねーちゃーん、ちょっとこの漫画借りていい?」
「いいよぉ。でも変な折りグセとかつけて、汚すなよ」
「そんなのしないってば!」
 むくれながら返事をする、子供っぽさの残る護(まもる)を、あたしはけっこう気にいっていた。
「冗談。帰るまでに読みきれなかったら、持ってってもいいよ。もう読んじゃったし」
 あたしの本棚には漫画本がいっぱい詰まっていた。少女漫画も少年漫画も取り混ぜて。
あの日、護が手に取ったのはどっちだっただろう。
「さんきゅ。でもたぶん読み終わるとおもうー」
 うれしそうにコミックスを抱えて、部屋の片隅にうずくまる。あたしも同じように他の漫画を持って少し離れた場所に座りこむ。
 いっしょに遊ぶといっても、たったこれだけなんだけど。ひとりっ子のあたしにはそれが妙に楽しかった。

 茜と護、漢字一文字コンビの姉弟は どちらもあたしの従兄弟で、春休みにふたりが遊びにくると、三人で川の字になって泊まっていくのがお決まりの恒例行事。
 もうすぐ三年になるあたし、二年になる茜、進学する寸前の護。その年に限って茜は友達と遊ぶのが忙しく泊まりに来れないというのを、恒例行事はもうオシマイかあと、すこし寂しい気持ちで聞いていた。
「でも護ちゃんだけ来るってさ。面白いわね、あの子」
 電話を切った母がそういうのを、ふーんと答えながら内心はしゃいでいた。まだもうちょっと子供の時代でいられる。そう考えたらわくわくした。


 その少し前の夏、あたしは子供でなくなっていた。いわゆる初潮というやつを迎えた。
 来ないと人並みでないような気がして不安だし、来たらきたで鬱陶しい。どちらかというと、赤飯炊いて祝うような気分のものじゃない。
 あたしにとっての初潮はそんなかんじだった。

 じりじり照りつける夏の陽射しが眩しいある日、庭の花壇にジョウロで水をやっていたら、それは前触れもなく突然やってきた。
 それに最初に気づいたのは、あたしでなく飼い犬のジュンだった。
 なんど追い払っても腰のまわりにまとわりついてくるジュンの様子が、なんだかおかしい。
「何やってるのよ、ジュン。あとでゆっくり遊んであげるから」
 しまいには前足であたしの腰にしがみついて、鼻面を押しつけクンクンと服の上から匂いを嗅いでいる。
「もう……はなれてってば!」
 異変に気づいたのはそのときだ。
 犬は嗅覚が鋭いって……え、うそ……もしかして…………?!
 ジュンをひきはがし あたりを見回して、確認のために犬小屋の裏でこっそりショーツを膝まで下ろした。
 ショーツにはっきりと彩られた大人への階段。ちょっぴりの赤いシミ。
 待っていたはずのそれは想像していたよりあっけなくて、やっぱりか……のホッとする気持ちと、見えない糸でがんじがらめになっていくような不安な気分とが、ないまぜになっていた。
 そうか。あたしはもう子供が生めるカラダになったんだ。もう子供じゃないんだ。
いつまでも子供じゃ……いられない……もう。
 スカートをたくし上げて覗きこんだ太腿の間には、経血の痕跡もなかったけれど、音もなくゆるゆると噴き出た透明な鮮血が、長く尾をひいて腰から足首まで蛇みたいに巻きついているような、半身にまとわりつく感じがする。それでもまだ足りなくて、歩くたびにずるずると重い尻尾をひきずってるみたいな気がして、立ち上がった瞬間にあたしはクラクラと眩暈を起こしそうになった。

 ジーワ、ジーワ、ジ、ジーーーッ。頭上からセミの声が、今をさかりと降りしきる。
 さっきまで水をやっていた花壇の中央には、オレンジがかった鮮やかな紅いダリアと、すっくと立つ白いグラジオラス。首筋に、灼けつくような夏の陽射しが突き刺さる。
 ジュンはあたしのその匂いに興奮したのか、繋がれたまま小屋の周りをぐるぐると回っていた。この子は避妊手術ずみの雌犬だ。
 ショーツを引き上げ、ジュンのそばに座って頭や首筋を撫でてやる。やっと落ち着いたのか、甘えるように濡れた鼻を頬にこすりつけ、ペロペロと耳もとを舐め始めた。
「きゃはっ……くすぐったい。こら……」
 人間の都合で赤ちゃんを待つ部屋がなくなっても、あなたは女の子なんだものね。あたしたち、おんなじメスだ。いっしょの鎖で繋がれている。
 寄り添ってジュンの獣くさい匂いを胸いっぱい嗅いで、滑らかな毛並みを撫でながら、あたしはふと切なくなった。

 そんなわけで、母が慌てて用意したお赤飯の味も、あまり美味しいとは感じなかった。
 どこか納得しないで、あたしは“おとなになること”へのステップを昇りはじめた。まだ未成熟な体にそのしるしが現れるのは時折だったから、考えないようにさえすれば、普段は忘れていることができた。
 とはいえ、あくまで“お子様”なあたしでも、性に対する好奇心がまったくないわけじゃない。もっと大人びた友人たちはたくさんいたし、情報は氾濫していた。誰がそうとは確認しなかったけど、“経験ずみ”のクラスメートも当然いたはずだ。

 初潮をすぎたあたしの好奇心は、もっぱら自分のそこはどうなっているかという、至極あたりまえの直接的な興味に絞られた。
 女の子には排泄に使用する以外の“第三の穴”が存在するらしい。だが小学生の頃はいくら頑張っても見つけられなかった。でもそこから、たまに経血らしきものが漏れてくるとなれば話は別だ。幼いあたしでも、探究心ぐらいは持ち合わせている。

 その儀式は、後ろめたさを伴うなにやら気恥ずかしいものだったから、家族がみんな外出しているときに限って ひっそりと行われた。
 留守番の名目で玄関の鍵をきっちりと掛け、次に子供部屋もぴったりと扉を閉め、窓のカーテンも閉ざす。部屋の明かりをつけ、手鏡と懐中電灯を準備して、ベッドの端に腰かける。
 ひとりきりのささやかな儀式の始まりだ。
 誰もいないとわかっているのに、スカートを足元に落としショーツを引き下ろす時はどきどきする。ベッドの上で足をくつろげて、薄い翳りが生え揃いつつあるふっくらとした割れ目を、指で開いていく。

 いちばん上にある小さな突起。そう、これ。
 幼稚園ぐらいの頃に、友達とくらべっこをしたっけか。仲良し三人で今みたいに揃ってショーツを脱いで、冷たい廊下に座って見せあいっこをした。
 その時のあたし達の疑問は、足を閉じてもその突起が見えなくなるかどうか、だった。ひとりだけ足を閉じても、その小さな突起が隠れない子がいたのだ。突起のてっぺんが可愛らしく割れ目の隙間から顔を覗かせている。
『圭子ちゃん、それヘンだよお』
 そう叫んではやし立てたのは、リーダー格の美和ちゃんだった。
『そんなことないよー』
『ヘンだったら、ぜったい ヘ・ンーーー!』
 幼い残酷さで小さな違いを指摘して、それすら遊びに組みこんでしまう。美和ちゃんとあたしは、さっさとショーツをはくと次の遊びに向けて、廊下を駆けだして行く。
『そうかなあ……』
 冷たい廊下の上で、足を開いたり閉じたりしながら、いつまでも足の間を覗きこんでいた圭子ちゃんの姿が、瞼の奥に焼き付いて離れない。

 残酷だった幼い時代の追憶を振りはらって、その先へと作業を進める。
 小さな突起のすぐ下にあるのが、尿道口だ。おしっこの出口。特に珍しくもなく興味もないので、指はその下へと襞をかきわけていく。きちんと自分のその部分を確かめるのがこの儀式の大事なところなので、奥をよく見るために手鏡と懐中電灯を登場させる。
 片膝を立て、股間にスポットライトを当てるみたいに、スイッチを入れた懐中電灯をベッドに転がす。片手に手鏡をもって、ゆっくりと大きな襞と小さな襞を順番に開いていく。
 灯りのあたっているあたしのその場所は、明るい薄桃色に見える。襞の中へ行くほど淡い色になる。現れた“第三の穴”は、穴というには無理があるような、ほんのわずかなスリット程度のものだ。
 この場所に男性のものが入ってセックスして、赤ちゃんが頭から出てくるの??
 とんでもなく他の世界の出来事のようで、にわかには信じがたい。そもそもサイズ的にどう考えたって無理だ。頭で得た知識や情報を、目の前の事実があっさりと否定した。
 理解できないことは存在しないと同じ。あたしの思考はそこで停止する。
 まだよく分からない。ピンとこない。これであたしのカラダはちゃんと大人になっているのだろうか。初潮は迎えたけれど、まだ何か不十分なのだろうか。

 脳裏に大人びたクラスメートの言葉が蘇った。
『うふふ……直子はそのままでいいのよ。可愛い』
『なにそれ。そうやっていっつもあたしを子供扱いしてぇ……』
 頬っぺたを膨らましてむくれるあたしをよそに、彼女はまるで他の世界に立っているみたいに優しく微笑んでいた。彼女とあたしはどこが違っているのか、まったくわからなかったけれど、たとえ同じように教室の窓から憧れの先輩の姿を探して校庭を眺めていても、間違いなく彼女は大人であたしは子供だったのだ。
 それだけは はっきりとわかっていた。

「ふう…………」
 溜息とともに手鏡を放り出そうとして、もうひとつ大事な知りたかった事をあたしは思い出した。それは“処女膜”とやらの存在である。
 なんだか大切なモノであるらしい。でも膜の名前どおりの形状もしていないらしい。激しい運動をすると、たまに破れることもあるんだとか。そもそも膜じゃないのに、破れるってどういう事なんだ?
 謎は深まるいっぽうである。確認するしかない。
 襞を指で開いて、先ほど見た小さなスリットに再び注目する。この……穴とも呼べないような場所の先に、処女膜とやらがあるんだろうか。
 ごくり。未知との遭遇みたいで、緊張して喉が鳴った。
 鏡をあてて覗きこみながら、ひっそりと閉じたそこを二本の指でそっと開く。灯りに照らされたその場所が、小さく口を開いた。入り口のまわりより、すこし濃いピンク色をしている。膜というより内臓を見ているような感じだ。おまけに、どの部分が処女膜なのか全くわからない。
 でもどうやら、その先もちゃんと存在していると分かって、それだけであたしは安心した。まだそこに何かモノが入るとは、想像もつかなかったけれど。


 従兄弟の護が春休みにひとりで遊びに来たのは、大人になる事を心が拒否していた、ちょうどそんな頃だったのだ。



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