シャッター ―― 1 ―― 「え? 海外?」 思わず秀行の肘をつかんで聞き返す。そんなの初耳。 「痛い、離してくれよ。海外って言ったって、たったの1年間だぜ?」 雑踏のなか。今日は2人で秀行のスーツを見立てるつもりだった。そのあとに、お気に入りの店で食事して。でもウキウキした気分が途端に崩れる。 「そんなの聞いてないよ、あたし」 「やっと本決まりになったんだ。それで最初に裕未に言おうと思った」 「そう……」 沈んでいく私の声。付き合い始めて2年半、どうなるんだろう、私達。 「別に行ったきりって訳じゃないし。そりゃ今までみたいに毎週は会えないけど」 「そうだね」 無理して笑顔を作ろうとした。でもどうやら失敗のよう。 「そんな顔するなよ。断りようがなかったんだよ。 1年っていうのも、目一杯交渉した成果だと思ってくれよ」 「うん……。それで、いつ出発するの?」 「来月3日」 「10日しかない。そんなに急に」 「まだこれでも余裕があるほうだぜ?」 私の頭をポンポンと手の平で軽くたたいて、髪の毛をくしゃくしゃとかきまわす。ほんとに行っちゃうんだ。 秀行が出発した。日本を離れるまでの間、私達は寸暇を惜しんで会ったし、体を重ねて愛し合った。 そして私の生活は一変した。 何しろ休みの日に、暇を持て余してしまう。誰かに拘束されるのは大嫌いだったのに、こんなにも私の生活は秀行を中心に回っていたのかな。自分でも少し呆れてしまう。 昨夜 友達から電話があった。彼と喧嘩したこと、どんなに腹が立ったか、どんなにムカついたか、そんな愚痴を聞きながら、私達はいま喧嘩もできない状態なんだ、そう考えると少し寂しくなった。 秀行とは何度か電話でやり取りした末、連絡はメールを中心にすることに決めた。いま寝てるんじゃないか、疲れてるんじゃないか、電話だと声が聞けて嬉しいけど、そんな心配はいつもついて回るから。 週に1〜2度のメールが楽しみになっている自分に気づいた。いくつかの発見もあった。それは会話をしている時と、文章に書く時とでの言葉の違い。たぶん口では上手く言えないようなことも、メールだと書けてしまう。 『裕未はメールだと別人みたいにしおらしいな』 『そういう秀行こそ、ときどき薄気味悪いよ』 それでも会えないぶん、気持ちをこめてメールを書く。きっと秀行もそうなのだろう。いやそうだと思いたい。 秀行の誕生日が近づいた。 何がほしい? そう書いた私に、裕未の写真が欲しいと言った。上司のところに、家族の写真が定期的に届くのだそうだ。それがとても羨ましいって。 『だから、デジカメ買って送ってくれないかな? 裕未の写真。 できればエッチなやつ、撮って』 機械オンチの私に、そんなこと言って、正気だろうか。 それよりエッチなやつって、どんな写真よ。 『無理だったら、普段の裕未の写真でもいいから。買っておいでよ、デジカメ。 あ、それから、リクエスト画像を送ります。こんなの撮ってくれたら嬉しいけどな』 添付ファイルを開いて、一瞬 言葉がなかった。おしり、お尻のオンパレード。 秀行がオッパイ星人じゃなくて、オシリ星人だって知っていたけど、ここまでとは。 どこから探してきたのだろう、全裸女性の後姿の写真ばかり。でも同性の私が見ても綺麗な人が沢山いる。なんだか落ち込むなぁ。こういうの見て秀行は、その……自分でして……るんだろうか。 私のことを思い出して、してくれたらいいのに。 そんな訳で、会社帰りに電器店に足を運んでしまった。本当は写真を撮るのも撮られるのも、あんまり好きじゃない。自分の意志じゃなくて、秀行に「命令」されてここまできちゃったような気がする。カタログみたり説明聞いたりして、値段も画素数も中程度の商品を選ぶ。 やれやれ。欲しいモノを買うんじゃなくて、「買わされる」のって始めてだ。でも実際にお金払って買っているのは私か。なんか変だな。きっと今の私は、秀行に上手に乗せられてるんだ。 メールの最後のセリフ、これにやられちゃったのかも。 『無理いってごめん。でも離れているから、裕未をもっと身近に感じたいんだ。 そう、できれば写真の裕未を見てイきたい』 私も……ナイショだけど、秀行を思い出してすることがあるから。秀行の指を、唇を、それから彼自身も。触れられたり、抱かれたりした事を思い出す。 だから、そんなセリフはちょっと嬉しい。 『デジカメ買いました。でもただいま取扱説明書と悪戦苦闘中。 何か撮って送ることができるようになるまで、もうちょっと待っててね』 『やったーーーー!! 楽しみにしてます。 そうだ、こんなのはどうだろう? 裕未のエッチな写真を見て、僕はイクんだ。 だから裕未も、僕に見られている気持ちになって撮ってほしい。 シャッター音を、僕の視線だと思って。 セルフタイマーの使い方、覚えた? それを使えば、好きなポーズを撮ることができるよ。 裕未が僕に見られている気持ちになって、感じながら取った証拠に、 感じている顔なんて撮ってくれたら嬉しい。 あぁ、あと2日で誕生日か。なんだか待ちきれない』 うわぁ、秀行ったらプレッシャーかけまくりだ。 仕事しながら、どんな写真を撮って送るか、あれこれ考えてしまった。ベッドの中で、秀行の前で、今までたくさん乱れてきたのに、どうしてこんなにドキドキするんだろう。 やっぱり恥ずかしいから、そんなの送れないって、言ってしまおうか。でも本当は、私の事を、もっと身近に感じて欲しい。私で感じて、イッてほしい。 そんなことを考えていたら、遠くにいるはずの秀行が、とても近くにいるような気がした。 Next |