My sweetheart



―― 1 ――



「さてと、それで私と航さんのことだけど」
 夕食後、さな姉が切り出した。
「お待ちなさい、早苗。『わたしたち』 と航さんの事でしょう?」
 やんわりと訂正する なほ姉に、わたしは黙って頷いた。みんなで食後の特製チャイを味わっている最中。
 やや、むっとした様子の さな姉こと次女の早苗姉さんが、きりっと描いた眉毛を上げてみせる。なほ姉は のほほんと受け流しているようでいて、さな姉に鋭い視線を飛ばした。
 うー、怖い。間違いなく食卓の上に、静かな火花が散っている。
 なほ姉は一番上の姉さん。向田稲穂(むこうだ いなほ)という。長い髪とおっとりした物腰がお嬢様風で、妹のわたしがいうのも何だが、かなりの美形。
「実乃里はどう思うの?」
 さな姉の矛先がわたしに向けられた。
「どうって……やっぱり……今のままじゃおかしいと思う」


 今夜の三姉妹会議の話題は、わたしの恋人である航さん、水尾航(みずのお わたる)のことである。正確には、なほ姉にならって 『わたしたちの恋人である』 と言うべきか。
 志望校に入学し少し経って、キャンパスで航さんに声をかけられた時は、天にも昇る心地だった。文学部のみならず全キャンパスで、彼は憧れの的だったから。


 政府が高齢化対策として 『人口増殖計画』 に本格的に着手して以来、わたしのうちのような多人数姉妹・兄弟は当たり前になっている。そのぶん受験戦争は苛烈を極めたけど、税金の優遇措置や住居の安価貸与がなされているから、生活はそれなりにできる。
 いま三姉妹で住んでいる広めのワンルームマンションも、そのおかげだ。わたしたちは母の使用した排卵誘発剤のために三つ子なのだ。
 小学校の頃は、たくさんの三つ子や双子に囲まれて、先生たちはてんてこ舞いだった。同じような顔の見分けがつかないのである。よく見ればちゃんと区別が付くはずなのに。
 仕方がないので、わたしたちは自衛措置をとった。なほ姉は髪の毛を伸ばし、さな姉は短めのショートに、わたしはセミロングという具合である。じっくり見れば顔立ちはそっくりだが、それぞれの持つ性格と雰囲気とで、今となってみればだいぶ違った個性の三姉妹になっている。
 好みの音楽も違えば、お気に入りのブランドだって違う。
 男性の好みだって当然ちがう、はずだった。ここ過去形を強調。



 それぞれの変化にお互いが気づいたのは、二ヶ月ほど前のことだった。
 さな姉がショートヘアをディップで小粋にアレンジし、楽しげにメイクしている。
「どこ行くの? さな姉」
「ん……友達とさ、ライブハウス」
 仕上げに なほ姉のグロスを借用してさりげなく塗ったのを見て、これはマジもんだなと思った。さな姉はふだん、口紅すら塗らない日がある。
「ふーん。ボーイフレンドと?」
「ま……ね。じゃ、いってきます。戸締りしっかりね」


 次に変化が起きたのは、なほ姉だ。学校が休みの日でも、ほわわんと薄ぼんやりしている。おっとりした なほ姉の事だから、ぽやっとしてるのはいつもの事だがその度合いが違う。
「ね、さな姉。なほ姉ぜったい恋してるよね」
「ふふ……当然だね」
 さな姉も片目をつぶって見せたのだ。


 その次がわたしである。憧れの航さんからデートに誘われて煩悶しているところに、ふたりの姉さんは恋の成功者として、優しくいってくれた。
「がんばれ! 実乃里にはステキなところがたっくさんあるんだから」


 それなのに。これってどういう事よ。
 付き合うからには、やっぱり家族には紹介しておかなくちゃ。約一ヶ月ほど経った日、そういう話になった。三姉妹それぞれ恋人を連れて会おうと。
 待ち合わせ場所に現れたのは、たったひとりの男性だった。航さんだけ。
 あんまりでしょう、それは。


 なほ姉は何が起きているのか分からないようで、何度も首を傾げていたし、さな姉は瞳からめらめら怒りの炎を出していた。これぜんぜん誇張じゃない。
 わたしはといえば、心の中がぐちゃぐちゃで訳わかんなくて泣きそうだった。
 呆然としているわたしたちを前に、航さんはいつもと変わらず微笑んでいた。
「なるほど。三つ子だったんですか。どおりで惹かれてしまうわけだ」
 なんていって、ひとりで納得してる。
「これって……三股かけられてたって事ですよね」
 掠れた声でなほ姉が呟く。うん、そうだ。まったく。
「何か問題がありますか?」
 しゃらっと航さんが答える。
「あるに決まってるでしょう!」
 さな姉がぶち切れた。
「僕は三人とも好きですし、誰とも別れるつもりはありませんが」
 その言葉にわたしはくらっと眩暈がした。



 それから一ヶ月、問題はなんら変わっていない。
 どころか、家の中では些細なことで火花を散らす日々。航さんのことは相変わらず大好きだし、彼も優しいんだけど。
 三人とも、こんなのもう耐えられない。
 白黒はっきり決着をつけよう。この中から航さんに、誰かを選んでもらおう。選べないなら、三人ともきっぱり別れてケリをつける。
 そう決意して、航さんの家へ向かったんだけど。


 ピンポーン。
「…………はい。あ……ちょっと今、手が放せないんだ。うっ……ロック解除するから上がってきて」
 だいぶ間があって、インターホンから航さんの声が聞こえた。
 今日は誰も彼と約束をしていない。アポ無しの訪問だ。
 なほ姉、さな姉の眼がきらっと光る。
 『うっ……』 って、その色っぽい声は何よ。いつもならカメラアイに顔が映るのに、今日に限って画像を切ってるのはどうしてよ。
 なほ姉が肩で大きく息をしながらいった。
「まさかとは思うけど……」
「三股ならいざしらず、まだ他に女がいたりしたら……」
 さな姉が奥歯をぎりっと噛みしめる。
 ゆ、許せんっ!!
 考えるより早く体が動いた。こうなったら突入あるのみだ。現場を押さえてやる。後ろから慌てて姉さんたちがついてくる。
「お邪魔しまーす」
 いつ来ても広いなあと思う。優雅なこの空間に航さんは一人暮らしなのだ。
 説明し忘れていた。航さんがキャンパスで憧れの的な理由。
 彼はひとりっ子である。人工増殖計画による種々の優遇措置は受けられない。いや、受ける必要もないほど、お金持ちなのだ。彼と結婚できたら玉の輿って奴である。
 もちろん、わたしたち姉妹は、そんなこと露ほども思ってないけど。その……ないよりあったほうがいいものってあるよね。
 リビングには誰もいない。部屋数はたくさんあるが、まず捜索するのはベッドルームだ。
「航さん? いらっしゃいます?」
 口調は穏やかだが、血相を変えて なほ姉がドアノブに手をかける。いない。
 あちこち探しまわって、最後の一室にたどりついた。躊躇したが、いまさら怯んでも仕方ない。
 ここは航さんの趣味の部屋だ。世界各地から集められた、種々様々なペットの飼育部屋。中にはとうぜん爬虫類とかいて、遺伝子操作で生まれた不気味なモノもあって、三人ともこの部屋に招待された事はあったが、苦手なのである。
「い……行くわよ……」
 さな姉が扉を開ける。
「だ……だめだよ……そんなにしたら。これからお客様なんだから……ね。あうっ!」
 間違いなく航さんが女性と交わしている会話。くちゅっとした水音まで聞こえる。
 カーテンをしめきった部屋の中は薄暗い。
「やあ、いらっしゃい」
 悪びれた様子のない航さんに、三人とも無言だった。目を疑って口もきけない状態といったほうが適切か。


 航さんと一緒にいたのは女性でなく、ヘンテコな生物だった。
 蛇ともミミズとも判別つかないようなモノが、半裸状態の彼に巻きついている。グロテスクなまでに赤黒く、その一本一本に丸い輪っかが走っている。蛇というより、巨大ミミズが大量にうねうねしてる感じ。ひゃあ。
 航さんの上半身を絡めとるように数本のミミズが覆って、ほどよく筋肉質で日焼けした胸板に、吸盤状になったミミズの先っぽが食いついていた。チュボチュボと妖しい音をたて、吸いついたり離れたりして、固く勃起した彼の乳首を愛撫している。
 航さんがかすかに眉をひそめた。とてもセクシーな表情だけど、彼がエッチする時によく見せる感じてる顔だとわかって、耳の先まで真っ赤になるほど頭に血がのぼった。
 部屋が暗くて見ずらいけど、ミミズの一本は航さんのトランクスの中に忍びこみ、もぞもぞ動き回っているみたい。
 また、くちゅって音がそこから聞こえて……うわ、いやっ!


 最初に硬直から解けたのは、なほ姉だった。
「そ、それは何ですの?」
 指差されたものが、その声に気づいてこちらに動きだす。
「い……いやぁぁぁ!」
 絶叫したのは さな姉だったが、長い髪を揺らして動いたのは なほ姉だ。
 その場でぱたりと失神したのである。









「とんだところを見られてしまったね」
 そういいながら航さんは淡々としている。その足元には、うう。見るも不気味なペットが蠢いていた。
 シンプルなインテリアの広いリビング。意識を取り戻した なほ姉もまじえ、テーブルを囲んでお茶をご馳走になっているのだけれど。この瀟洒な空間の中で、そいつだけ異質だ。
 うねうねしたでかいミミズが、航さんの足元にうずくまっている図を想像してもらいたい。


「と、とりあえず……そのヘンなもんを、部屋から外に出してください。話はそれからです」
 さな姉は最初の目的を思い出したのか、鼻息荒く航さんに宣言した。
 すると、航さんに絡みついていた薄っ気味悪いミミズ野郎は、甘えるように彼の肩先を撫でていた細い管を、音もなく さな姉の方に伸ばすと、先端からぴゅるっとミルク状の液体を迸らせた。白くどろりとした粘性のある液体が、さな姉の頬にかかる。生臭い匂いが鼻をついた。
「きゃ!! な……なに?」
「ひどいなあ。早苗が意地悪な事をいうからだよ。ジェニーはちゃんと人間の言葉が理解できるんだから。ジェニー? 前に話したろ? こちらが早苗さんだ。さ、挨拶しよう」
 ジェニーって、それがこのミミズ野郎の名前ですか? 航さん、正気なの?
 ミミズ野郎は航さんの前で、まるでイヤイヤをするように何本かの管を揺らした。
 挨拶すらしたくないってか?! たかがミミズの分際で生意気な。
 わたしはバッグから取り出したティッシュで、さな姉の頬を拭きながら、ミミズ野郎の仕草は優越感をバリバリ表しているライバル女みたいだと思った。それも金髪セクシー美女級の。
 ほんの一瞬、気色悪いミミズが金髪のキレイな女性に見えた。
 そんなまさか。目をゴシゴシとこする。
 よし。ミミズ野郎はあくまでミミズだ。
 さな姉の頬っぺたにくっついたミミズ野郎の分泌液は、ひどくべとついて取りずらい。そうする間にも、ミミズ野郎は管をくねらせてシナを作り、航さんに巻きついて引き締まった体躯を撫で回している。
 なんだかすごく癪にさわる。
 わたしの(正確にいえば、わたしたちの)航さんに、べたべたするな!
「駄目だよ、ジェニー。そんな聞きわけのないことでは、君を嫌いになってしまうよ」
 眉根を寄せて、航さんはとても困った顔でミミズに話しかける。
 ミミズ野郎はなよっと管を泳がせて、やっとこちらを向いた。それでもまだ航さんの陰に隠れようとしている。庇護を求めている愛らしい女性みたいに 『あたし、あのひとたち、怖いのよう……たすけて……』 な感じ。
 やはりむかつく。
 わたしの横でふわっと なほ姉が動いた。やっぱり長姉だ。頼りになる。
 ここは一発決めてほしい。
「あの……そのミミズちゃん。ジェニーちゃんっておっしゃるの? 女の子なのかしら」
 手入れの行き届いた長い黒髪をなびかせて、なほ姉がミミズ野郎の前へ出る。おっとりしたのどかなトークに肩の力が抜けた。
「違うんだ。分類は難しいんだけどね。いわば雌雄同体だ。ああ、稲穂。今日もキレイだね。そのワンピース、とても似合ってるよ」
 航さんの舌は今日も絶好調だ。なほ姉ってば、頬を染めてる場合じゃないよ。今日は話し合いに来たんだから。
「あらためて紹介しよう。ジェニー? こちらが稲穂さんだ」
「よろしくね。ジェニーちゃん」
 なほ姉はすんなりと右手を差し出す。
 ちょ、ちょい待ち。そいつはミミズだって。なほ姉、気味の悪いもんと握手なんかするな。
 止めに入ろうとした時、ミミズ野郎が素早く動いた。
 ひゅんっ。
 鞭のようにしなった管が、わたしの眼前をかすめる。明らかな敵意。
 何も気づかない航さんと なほ姉は談笑している。ミミズ野郎はゆらゆらと恥ずかしげに管を差し出し、なほ姉の手のひらに巻きついた。なほ姉もさすがに気持ち悪そうで腰が引け気味。口元だけの作り笑いをしている。
 と、見る間になほ姉の頬が赤らんだ。
 巻きついたのとは別の細い管が、そろそろと手の甲を這う。きらりと光って見えるのは管にうっすらと生えている毛、だろうか。管はなほ姉の手を撫でまわした挙句、ちゅっと吸いついて離れていった。
「まあ、ほんと。素敵なジェントルマンでもあるのね。ジェニーちゃんはお利口さん」
 ぞぞぞぞぞ。血を分けた姉とは思えない発言。
 なほ姉はうっとりしながらミミズ野郎の手を、もとい管を、掌にのせ撫でている。膝元にはミミズが絡みつき、なつきまくって甘えてる。
「ジェニーはスキンシップが大好きなんだよ。稲穂とも仲良くなれそうだね」
 航さんがその様子をにこやかに眺めて。
 駄目だ。なほ姉も航さんも、どうかしちゃってる。


「興味深いですね。そのミミズ……いえジェニーは」
 液体をかけられたショックから回復したのか、さな姉が口を開いた。
 眼つきがやけにギラギラしてるのが気にかかる。
「それなり知性もあるようですし、好奇心や洞察力も兼ね備えています。詳しく調べてみたいのですが、かまいません?」
「かまわないよ。早苗の知的興味をひいたようだね」
 しまった。さな姉の研究ヲタクを忘れていたよ。
 バイオサイエンスが専門の さな姉は、研究対象を見つけると、文字通り寝食を忘れて没頭してしまう。実験やら解析やらで研究室に泊まりこみ、よれよれの姿で帰宅するのも珍しくない。
 ヘンなペットはいるし、本日の話し合いには暗雲が垂れこめてきた。
「よろしければ別の部屋でゆっくり調べたいのですが」
「なら、隣の部屋を使って。ああ、ジェニーに傷をつけて、組織切除とかはしないように」
「もちろんです」
 素直に答えたが、口ぶりはちょっと残念そう。必要なら切り刻んで組織培養とか、さな姉ならやりかねない。
「ジェニー、こっちにいらっしゃい」
 立ち上がりながら声をかける。
 ミミズ野郎は なほ姉の膝に巻きつけた管をぴくりとさせ、薄気味悪く蠢いてから航さんの胸を管でつつく。航さんがその管を二・三度軽く叩くと、安心したようにさな姉の後についてもぞもぞと這っていった。
 ボディランゲージで意志がちゃんと伝わっている。見事というか、なんというか。
 一人と一匹が隣室に消えると、話題はジェニーの食べ物や好物の話に移る。
「果物が特に好きでね。それでも鮮度が落ちたものは一切食べないんだ」
「まあ、美食家ですのね。ジェニーちゃんは」
 …………ついていけない。


 今日は何しに来たんだろ、わたしたち。なほ姉も さな姉も、目的を忘れちゃったんだろうか。皆がすんなりジェニーを認めて、家族の一員(または研究材料)みたいに接してる。
 なんかヘン。わたしだけ異分子になってしまったようで。
 意を決して会話に参加しようとしたとき。
「ふぐぅ……んあっ!」
 隣の部屋からくぐもった声が。今の、さな姉?
 三人で顔を見合わせてから、慌てて隣室に突入した。
 首筋が総毛だち、すごくイヤな予感がする。


 隣の部屋、普段はあまり使われていないゲストルーム。ベッドと小さなテーブルセットが置かれ、ホテルの部屋のような作り。
 そこに、さな姉がいた。いや即座に さな姉だと分からなかった。

 白く引き締まった体に、赤黒い管が何本も巻きついて自由を奪い、柔らかい肌を締めあげている。形のよい胸から二の腕を絡め取った管は、グロテスクなまでに深い紅。その先は開いた唇の中に消えていた。
「ぐむぅぅ」
 唇に挿しこまれた管は、さっきリビングで見たものより太く膨らんで、裸の女性の口を蹂躙している。
 締めあげられ隆起したおっぱいの先が固く尖り、細い管が先端をさわさわと嬲る。管で拘束された肢体がびくびくと不規則に弾んだ。撫でられていた場所に細長い管がしゅるりと巻きついて、尖った乳首をより細く捻るように中空に向けひっぱりあげる。
「んーーーーっ!」
 声の出せない唇から漏れる叫び。
 これ、誰?
 膝からふくらはぎに纏わりついた赤褐色の帯がしなり、無様な格好に膝を折っていく。抵抗して足首から先が忙しく動いているが、引き絞る力が強まり白い太腿を割る。
 肌の表面より濃いピンク色で、てらてら光る肉。ぱっくり開かれた割れ目から雫が落ちる。
 ベッドの周りに散らばっているのは、今日さな姉が着てきたお気に入りのパンツスーツと、下着にしかみえない薄いピンクの布切れ。
 くっきりと描かれた眉根は苦しそうに寄って、顎からぽとりと何かが垂れる。汗のようでもあり、涎のようでもあり。
「さ……さな姉っ!」
 情けないことに膝が震えて一歩も動けない。叫んだつもりの声も、どこかしゃがれていた。
 頭がわんわんと警鐘を鳴らしている。
 こういう時はどうしたらいいの。連絡するのは警察かしら、それとも救急車? ミミズ野郎はペットだから動物園?
 眩暈がした拍子に、ドンッと背中が突き当たった。
 わたしと同じく呆然と見ている航さんと なほ姉に。



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