「とんだところを見られてしまったね」
そういいながら航さんは淡々としている。その足元には、うう。見るも不気味なペットが蠢いていた。
シンプルなインテリアの広いリビング。意識を取り戻した なほ姉もまじえ、テーブルを囲んでお茶をご馳走になっているのだけれど。この瀟洒な空間の中で、そいつだけ異質だ。
うねうねしたでかいミミズが、航さんの足元にうずくまっている図を想像してもらいたい。
「と、とりあえず……そのヘンなもんを、部屋から外に出してください。話はそれからです」
さな姉は最初の目的を思い出したのか、鼻息荒く航さんに宣言した。
すると、航さんに絡みついていた薄っ気味悪いミミズ野郎は、甘えるように彼の肩先を撫でていた細い管を、音もなく さな姉の方に伸ばすと、先端からぴゅるっとミルク状の液体を迸らせた。白くどろりとした粘性のある液体が、さな姉の頬にかかる。生臭い匂いが鼻をついた。
「きゃ!! な……なに?」
「ひどいなあ。早苗が意地悪な事をいうからだよ。ジェニーはちゃんと人間の言葉が理解できるんだから。ジェニー? 前に話したろ? こちらが早苗さんだ。さ、挨拶しよう」
ジェニーって、それがこのミミズ野郎の名前ですか? 航さん、正気なの?
ミミズ野郎は航さんの前で、まるでイヤイヤをするように何本かの管を揺らした。
挨拶すらしたくないってか?! たかがミミズの分際で生意気な。
わたしはバッグから取り出したティッシュで、さな姉の頬を拭きながら、ミミズ野郎の仕草は優越感をバリバリ表しているライバル女みたいだと思った。それも金髪セクシー美女級の。
ほんの一瞬、気色悪いミミズが金髪のキレイな女性に見えた。
そんなまさか。目をゴシゴシとこする。
よし。ミミズ野郎はあくまでミミズだ。
さな姉の頬っぺたにくっついたミミズ野郎の分泌液は、ひどくべとついて取りずらい。そうする間にも、ミミズ野郎は管をくねらせてシナを作り、航さんに巻きついて引き締まった体躯を撫で回している。
なんだかすごく癪にさわる。
わたしの(正確にいえば、わたしたちの)航さんに、べたべたするな!
「駄目だよ、ジェニー。そんな聞きわけのないことでは、君を嫌いになってしまうよ」
眉根を寄せて、航さんはとても困った顔でミミズに話しかける。
ミミズ野郎はなよっと管を泳がせて、やっとこちらを向いた。それでもまだ航さんの陰に隠れようとしている。庇護を求めている愛らしい女性みたいに 『あたし、あのひとたち、怖いのよう……たすけて……』 な感じ。
やはりむかつく。
わたしの横でふわっと なほ姉が動いた。やっぱり長姉だ。頼りになる。
ここは一発決めてほしい。
「あの……そのミミズちゃん。ジェニーちゃんっておっしゃるの? 女の子なのかしら」
手入れの行き届いた長い黒髪をなびかせて、なほ姉がミミズ野郎の前へ出る。おっとりしたのどかなトークに肩の力が抜けた。
「違うんだ。分類は難しいんだけどね。いわば雌雄同体だ。ああ、稲穂。今日もキレイだね。そのワンピース、とても似合ってるよ」
航さんの舌は今日も絶好調だ。なほ姉ってば、頬を染めてる場合じゃないよ。今日は話し合いに来たんだから。
「あらためて紹介しよう。ジェニー? こちらが稲穂さんだ」
「よろしくね。ジェニーちゃん」
なほ姉はすんなりと右手を差し出す。
ちょ、ちょい待ち。そいつはミミズだって。なほ姉、気味の悪いもんと握手なんかするな。
止めに入ろうとした時、ミミズ野郎が素早く動いた。
ひゅんっ。
鞭のようにしなった管が、わたしの眼前をかすめる。明らかな敵意。
何も気づかない航さんと なほ姉は談笑している。ミミズ野郎はゆらゆらと恥ずかしげに管を差し出し、なほ姉の手のひらに巻きついた。なほ姉もさすがに気持ち悪そうで腰が引け気味。口元だけの作り笑いをしている。
と、見る間になほ姉の頬が赤らんだ。
巻きついたのとは別の細い管が、そろそろと手の甲を這う。きらりと光って見えるのは管にうっすらと生えている毛、だろうか。管はなほ姉の手を撫でまわした挙句、ちゅっと吸いついて離れていった。
「まあ、ほんと。素敵なジェントルマンでもあるのね。ジェニーちゃんはお利口さん」
ぞぞぞぞぞ。血を分けた姉とは思えない発言。
なほ姉はうっとりしながらミミズ野郎の手を、もとい管を、掌にのせ撫でている。膝元にはミミズが絡みつき、なつきまくって甘えてる。
「ジェニーはスキンシップが大好きなんだよ。稲穂とも仲良くなれそうだね」
航さんがその様子をにこやかに眺めて。
駄目だ。なほ姉も航さんも、どうかしちゃってる。
「興味深いですね。そのミミズ……いえジェニーは」
液体をかけられたショックから回復したのか、さな姉が口を開いた。
眼つきがやけにギラギラしてるのが気にかかる。
「それなり知性もあるようですし、好奇心や洞察力も兼ね備えています。詳しく調べてみたいのですが、かまいません?」
「かまわないよ。早苗の知的興味をひいたようだね」
しまった。さな姉の研究ヲタクを忘れていたよ。
バイオサイエンスが専門の さな姉は、研究対象を見つけると、文字通り寝食を忘れて没頭してしまう。実験やら解析やらで研究室に泊まりこみ、よれよれの姿で帰宅するのも珍しくない。
ヘンなペットはいるし、本日の話し合いには暗雲が垂れこめてきた。
「よろしければ別の部屋でゆっくり調べたいのですが」
「なら、隣の部屋を使って。ああ、ジェニーに傷をつけて、組織切除とかはしないように」
「もちろんです」
素直に答えたが、口ぶりはちょっと残念そう。必要なら切り刻んで組織培養とか、さな姉ならやりかねない。
「ジェニー、こっちにいらっしゃい」
立ち上がりながら声をかける。
ミミズ野郎は なほ姉の膝に巻きつけた管をぴくりとさせ、薄気味悪く蠢いてから航さんの胸を管でつつく。航さんがその管を二・三度軽く叩くと、安心したようにさな姉の後についてもぞもぞと這っていった。
ボディランゲージで意志がちゃんと伝わっている。見事というか、なんというか。
一人と一匹が隣室に消えると、話題はジェニーの食べ物や好物の話に移る。
「果物が特に好きでね。それでも鮮度が落ちたものは一切食べないんだ」
「まあ、美食家ですのね。ジェニーちゃんは」
…………ついていけない。
今日は何しに来たんだろ、わたしたち。なほ姉も さな姉も、目的を忘れちゃったんだろうか。皆がすんなりジェニーを認めて、家族の一員(または研究材料)みたいに接してる。
なんかヘン。わたしだけ異分子になってしまったようで。
意を決して会話に参加しようとしたとき。
「ふぐぅ……んあっ!」
隣の部屋からくぐもった声が。今の、さな姉?
三人で顔を見合わせてから、慌てて隣室に突入した。
首筋が総毛だち、すごくイヤな予感がする。
隣の部屋、普段はあまり使われていないゲストルーム。ベッドと小さなテーブルセットが置かれ、ホテルの部屋のような作り。
そこに、さな姉がいた。いや即座に さな姉だと分からなかった。
白く引き締まった体に、赤黒い管が何本も巻きついて自由を奪い、柔らかい肌を締めあげている。形のよい胸から二の腕を絡め取った管は、グロテスクなまでに深い紅。その先は開いた唇の中に消えていた。
「ぐむぅぅ」
唇に挿しこまれた管は、さっきリビングで見たものより太く膨らんで、裸の女性の口を蹂躙している。
締めあげられ隆起したおっぱいの先が固く尖り、細い管が先端をさわさわと嬲る。管で拘束された肢体がびくびくと不規則に弾んだ。撫でられていた場所に細長い管がしゅるりと巻きついて、尖った乳首をより細く捻るように中空に向けひっぱりあげる。
「んーーーーっ!」
声の出せない唇から漏れる叫び。
これ、誰?
膝からふくらはぎに纏わりついた赤褐色の帯がしなり、無様な格好に膝を折っていく。抵抗して足首から先が忙しく動いているが、引き絞る力が強まり白い太腿を割る。
肌の表面より濃いピンク色で、てらてら光る肉。ぱっくり開かれた割れ目から雫が落ちる。
ベッドの周りに散らばっているのは、今日さな姉が着てきたお気に入りのパンツスーツと、下着にしかみえない薄いピンクの布切れ。
くっきりと描かれた眉根は苦しそうに寄って、顎からぽとりと何かが垂れる。汗のようでもあり、涎のようでもあり。
「さ……さな姉っ!」
情けないことに膝が震えて一歩も動けない。叫んだつもりの声も、どこかしゃがれていた。
頭がわんわんと警鐘を鳴らしている。
こういう時はどうしたらいいの。連絡するのは警察かしら、それとも救急車? ミミズ野郎はペットだから動物園?
眩暈がした拍子に、ドンッと背中が突き当たった。
わたしと同じく呆然と見ている航さんと なほ姉に。
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