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 マシュマロ



――― 1 ―――



 炎にあおられてぱちぱちと薪がはぜる。見上げれば満天の星。星座の勉強にはうってつけだ。たくさん星がありすぎて、どれが何座か探すのも大変だけど。晩秋のキャンプ場はかなり冷えこんで、首をすくめて熱いコーヒーをすすっている。
 遠くのサイトの灯りが消えた。まだ夜の8時半だが、子供連れのキャンパーはもう寝る時間なんだろう。季節はずれでガラガラのキャンプ場。あたしは溝口が風呂から戻ってくるのを待っている。
 ほんとは四人で来るはずだったんだよなあ。横目でテントを見ながら溜息をつく。やっぱり今夜はここに2人で寝る……んだよね、当然。


 溝口とあたしは恋人同士じゃあない。いわば飲み仲間。あたし達の間で通称「ジローさんち」と呼んでいる、居酒屋兼バーみたいな場所で出会った。年齢の近かった敬子とあたし、それに前田と溝口は、仕事の愚痴を言いあったり、休みの日につるんで遊びに行ったりする仲間だ。
「だから星空の下で俺たちの親交を深め、溝口の天文講義を聞く。こういうコンセプト。どうよ、恵ちゃん?」
 どうって聞かれてもね。前田は黒ビールの泡を自慢のヒゲにくっつけて、今週末の予定を説明する。溝口は黙って頷いている。
「飲みすぎよ、前田君。だいたい星空の下なんて、あんたには似合わないの」
 穏やかに微笑んで敬子がまぜっかえす。
「天文観察はいいけど、この時期だとちょっと寒くない?」
 とあたし。
「前田さんはね、このメンバーで飲めれば何でもいいんですよ、恵さん。明後日は天気も良さそうだし、きっといい星空が拝めます」
 天文ヲタクでバードウォッチングが趣味の溝口は、淡々と静かな口調で話す。バカ丁寧な口調は、気どってるのではなくこれが地。
「珍道中になりそうだね」
 カウンターの中でジローさんがシャーベットを盛り付けながら、楽しそうに口を挟んだ。



 で当日の朝、待ち合わせ場所にて。
「…………というわけで、どうします? 恵さん」
 は……? 朝から腹痛でダウンの前田と、昨夜倒れた叔母様の病院に詰めっきりの敬子、ふたりとも来れないって。おやまあ。
 こいつと二人だけで行くのもなんだか。がさごそと車の中を整理している溝口を、横目に見て考えこむ。やっぱり気詰まり、だろうか。
「食料だけは大量にあるんですけどね」
 予定の倍ほど滞在できそうな量。食材が入っているらしき買い物袋がたくさん。
 溝口はたぶん、あたしのことが好きなんだろうと思う。なんとなく確信している。何か言われたわけじゃないけど。
 ジローさんちで、気がつくとこいつの視線を感じる。他の常連客(女性)と話すときより、あたしとだと数倍楽しそうだ。そんなとこからの勝手な想像だけど。でもこの勘は、はずれてないはず、経験上。
 そんな奴と一緒に出かける。どんな小旅行になるのだろう。
「無駄にするのもなんだし、たまには自然を満喫してみますか」
 振り返ってにっこり笑った溝口に、
「そうだね」
 つられる様にあたしは答えていた。



「街中にもけっこう鳥っているんですよ。注意しないと気づかないだけで。あ……あそこにいるのがホオジロです」
 高速をおりてひと休みしていると、説明してくれた。指差された枝の先を見ても、あたしにはスズメにしか見えない。残念ながら。こいつやっぱり変わった奴だ。
 あたしの中で、溝口はどういうポジションにいるんだろう。飲み仲間。それ以上でもそれ以下でもない。よく話を聞いてくれて、どちらかと言うと癒し系。悪く言えば毒にも薬にもならない奴、そんな印象がある。


「そっち持っててくださいね。いま建てますから」
 到着したから、とりあえずテントを建てようって事になって。溝口が がさごそ動いて、あたしは布きれの端っこ持たされているうちに、あっという間にドーム型のテントができあがった。正味五分間くらいの早業。こんな特技があったんだ。溝口が当社比十%増しでいい男に見えた。

 落ち葉を踏みしめる音だけがして、ふたりで無口に林の中を歩いている。枯葉の絨毯は歩いていて気持ちがいい。無口なのは、この散歩の目的がバードウォッチングだから。鳥たちを驚かさないように会話は静かに。
 好意を持ってる女の子と一緒にいて(たぶん)、それも林の中にふたりっきりで、あんたはそれで良いのかと問い詰めたくなる。それともあたしの勘違い?
 ニーニーと甘い鳴き声がした。溝口の視線が飛んで一箇所に止まると、双眼鏡らしきもの(フィールドスコープというのだそうだ)を当てた。
「恵さん、いましたよ。ヤマガラです。はい、ここを覗いて」
 囁いて手招きした。近づいてスコープを覗きこむ。体が触れあうほどそばに寄る。
「見えますか? 黒い帽子に濃い橙色のおなかです」
「きれい……」
 枝の先にとまってさえずっている鳥は、とても愛らしかった。濃いグレーの羽が橙色の胴体に映えて、クリーム色の顔がアクセントになっている。
 目を離すと、溝口の顔が至近距離にあった。
「よかった」
 いつもの笑顔で呟くと、落ち葉の道をさくさくと先に立って歩いていった。
 それだけ? もっとこう肩を抱くとか手をつなぐとか、あってもいいんじゃない?
この場で襲えとか、押し倒せとか言ってるんじゃなくて。それとも溝口にとってあたしは、鳥以下の存在、ですか。



「ふーーー」
 薪の火を眺めて、思わず深い溜息がでた。何を期待してるんだろう、あたし。ここまで何もなかったんだから、これからだって何かあるはずないんだ。だって相手はあの溝口だもの。
 ぱきりと小枝が折れる音がして、遠くでヘッドランプの明かりが動いた。静かな場所だから、そんな音まで拾ってしまう。あたしのもやもやの元凶が、やっと帰ってきた。
「暖かそうですね。コーヒーですか。では僕も」
 テントにもぐって荷物をがさごそしている。溝口は小柄じゃないのに小動物に見えてしまうのは何故だろう。いつもこまめに動いてるからだろうか。
「これを忘れてました。コーヒーにはぴったりです」
 そう言って取り出したのは、小枝と小さな袋だった。これってマシュマロ?
「火にかざして軽くあぶってください。まわりがキツネ色になったら食べ頃です。焦げやすいので気をつけて」
 小枝の先に刺された白いマシュマロを、溝口の真似をして火にかざす。口にぱくっと放りこむ。熱い。
「おいしい!」
 こんがり焼けたマシュマロは、口の中でとろっとクリームみたいに溶けた。炎の向こうで溝口がにこりと微笑む。ぱちっと薪がはぜる。今日は驚かされっぱなしだ。朝から何枚、目からウロコが落ちただろう。
「あ、いま星が流れました」
「しまったあ。見そこねた」
「大丈夫ですよ。ずっと上を見ていれば、そのうちまた流れます」
 椅子に寄りかかって、のんびりと空を見上げる。天然のプラネタリウムに専属の説明係がいるような贅沢さ。穏やかな会話、静かな時間、おいしくてとろけるマシュマロ。にこにことあたしを見ている溝口。こんなのって悪くない。


「冷えこんできましたね。そろそろ休みましょう」
「あ……う、うん……」
 何気ない言葉にドキリとする。いや、何もないんだってば、きっと。
 芋虫みたいに寝袋に潜りこむ。境界線がわりに、溝口との間に荷物を置いてみたりして。溝口のほうは、メアリー・ポピンズみたいに色んなものが出てくる癖に、小さく纏まっているリュックを枕にして、横になっていた。
 真似してみる。ちょっとゴロついたけど、なかなか快適。
「じゃ、明かり消しますよ。恵さん」
 どきどき。落ち着け、自分。右腕を伸ばしたら溝口に届きそう。心臓の鼓動を聞かれてしまいそうだ。明かりを消すとテントの中はまっくら。深呼吸の要領で、大きく息を吸いこむ。このままだと窒息しそう。五分、十分経っただろうか。いくらも経っていない気がする。ゆっくり息を吐くと、寝返り打つふりをして溝口に背を向けた。
「眠れませんか?」
「あ、こんなに早く寝る習慣がなくって……」
 慌てて答えた。まだ夜の十時前だ。いつもだったら宵の口。
「テントで寝るのは、慣れないと少し寝にくいでしょう。でも良かった。今日は恵さんと一緒に来れて。この景色を大好きなあなたに、一度見せたかったんです。願いが叶いました。そうだ、こんなのがお好きなら、北八つにリスの来る小屋が……」
 ちょっと待て、溝口。いまなんて言った?
 そこから先は聞いていなかった。いつになく饒舌に喋っている溝口を、振り返った。暗さにだいぶ目が慣れてきた。のほほん野郎はテントの天井を見上げて、まだ喋っていた。
「ちゃんと言って」
 泣きそうな怒ったような声で、あたしは呟いた。
「え? いや、餌付けされていて、小屋の目の前までリスが来るんです。そこに恵さんと一緒に行けたらいいなあ、と。それで……」
 リス小屋の話じゃないったら! このアンポンタン。
 あたしは時々、アタマが沸騰すると何をしでかすか分からない、らしい。母がよく嘆いていた。あんたは考えなしに行動を起こすからねえ、と。かあさん、ごめん。またやっちゃったよ。


 瞬間湯沸器で沸騰したまま、あたしは気がついたら溝口の、どんなにリスが可愛いか、語り続けている唇をキスでふさいでいた。
「黙って。あたしがいま聞きたいのは、リスの話じゃないの」
 こんなのは違反だ。フェアじゃない。『大好きなあなた』ってさっき言わなかった? そういう言葉は、暗がりでテントの天井見ながら話すんじゃなくて、明るい場所であたしの眼をみて言ってくれなくちゃ。
「いきなり、ですね」
 リスのように目をぱちくりさせながら、それでも極めて冷静に溝口は言ってのけた。あたしは怒り爆発状態だというのに。再び抗議しようと口を開きかけると、掴みかからんばかりの勢いでいたあたしの背中を、溝口の両腕がそっと抱きしめた。
「ああ、やっぱり、言わないとわからない、ですかね。僕がいつも恵さんを見ているの、気づいてくれていると思ってたんですが。あなたの気持ちはどうか、わからないですけど。でもそうやって怒っているのも、恵さんらしくてとても可愛いです」
 全身の力が抜けるじゃないの、この脳天気野郎……。抱きしめられて溝口の胸の上に乗ってしまったあたしの頭。ゆっくり髪の毛を撫でられて溝口の声を聞いているうちに、ふつふつと煮えたぎったあたしの気持ちは、凪いでいる海のように静かになっていった。
 溝口の手がおっきくて温かくて気持ちいい。とんでもない鈍感野郎だけど、こいつと一緒にいると落ち着くんだ。
 耳元でドクドクと溝口の胸の鼓動が聞こえる。すごく早い。
「その……ですね。とりあえず一度どいてもらえませんか?」
 珍しく溝口の声がうわずっている。あたしの上半身は思いきり溝口の上に倒れこんで、体を預けていた。
「ああ、ごめん……これじゃ重いよね」
 苦笑いしながら身を起こそうとした。客観的に見たらあたしのほうが襲ってるみたいだし。起き上がるとき、シュラフの羽毛越しにぐりっと不思議な感触が、お腹に伝わった。
 これって…………。
 溝口の成人男性としてきわめて当たり前の反応に、あたしは何だか驚いてしまって、いつも冷静で穏やかに笑っているこいつが、今どんな顔をしてるんだろうと、ボケッと見つめていた。
 暗くて顔色までは見えなかったけど、この朴念仁は何かに耐えているような、ひどく真面目な顔をしていた。溝口がゆっくり起き上がる。
「今日は恵さんには驚かされっぱなしで……」
 言いながらあたしのほうににじり寄る。どっちかって言うと、驚かされたのはあたしの方だと思うよ。で、なんとなく後ずさる。
「自制心は強いほうだと思ってたんですが、それにも限りがありまして」
 近づいてくる。後ずさってから、蛇に睨まれた蛙みたいに、あたしは固まった。少し広めのテントとはいえ、スペースには限りがある。あっという間に端っこまで追い詰められていた。
 ところで何で逃げてるんだろう、あたし。溝口とこうなるかもしれないって、さっきまで想像してたくせに。
「恵さんは僕が、きらいですか?」
 ぶるぶると首を横にふる。そんなことないって。
「僕とこんな風になるのは、イヤですか?」
 溝口の手が肩にかかる。眼の前に溝口の顔があった。
 ああそうか。きっと寂しいんだ、あたし。溝口と男と女の関係になったら、今までのあたし達が変わってしまうような気がして。
 でも、こいつとならきっと、大丈夫だ。だって相手は溝口だもの。
 溝口の首に両手をまわした。肩にコツンと頭をのせた。そして耳元で囁いた。
「言わないと、わからないの?」
「いえ……わかってましたよ。もちろん」



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