或る夜



―― 3 ――



 部屋にもどった隆司は、窓辺で音高く流れる川の響きを聞いている。指先から紫煙が立ちのぼった。佳耶子が部屋に帰ってくるまで、自分の心を見つめる気持ちで、暗い夜の景色を眺めている。
 せめてこの景色の中に、小さな明かりがあればいい。佳耶子を想うとき、心に点る明かりのような。
 さきほど鏡の前で体奥ふかく抉り、責めたてながら、『辛いか?』と訊いた。首を激しく振って、『いい……いいの……これがいいの!』と、狂ったように佳耶子は叫びをあげていた。
 何故あんな問いを投げたのだろう。本当は『このままの状態でいて、辛くはないか 』と訊ねたかったのではないか。それでも、『わたしは今のままがいいんです』と、きっぱりとした答えが返ってきそうで、隆司は苦笑する。
 それほどに佳耶子は一途で自然体なのだ。とっている行動の矛盾を自覚しながら、隆司もまたそれ以上を考えようとはしない。ただ好きだという気持ちの赴くままに。


 控えめなノックの音がして、もの思いから引き戻された。ドアの向こうに佳耶子の微笑んだ顔がある。手にはアイスティーの缶がふたつ。
「喉が渇いたので買ってきました。飲みます?」
「ああ、もらおう」
 渓流の音に混じって、リーリーともホロホロとも聞こえる涼やかな音色が、佳耶子の耳に届いた。綺麗な虫の音だと思ったが、季節的な違和感がある。
「きれいな声ですね。なんの虫でしょう?」
「ん? あぁ、カジカだな。いい声で鳴く」
「カジカ? 魚が鳴く……んですか?」
 きょとんとした様子の佳耶子に目を細め、
「そうか。佳耶子は北の方の出身だったね。知らないのも無理はないか。カジカはカジカでも、いま鳴いているのは蛙のほう」
 思い違いを解き明かしていく。
「蛙、ですか。でも、蛙が鳴いてるなんて思えない。綺麗な声ですよねぇ」
 川面におもてを向けて、音色に耳を澄ませている。目を閉じると佳耶子の意志の強そうな黒い瞳が、その色を消してしまう。穏やかな横顔になる。しどけなく横座りして、浴衣の裾からのぞいた脛の白さが、隆司の眼を射た。
「カジカガエルはね、鳴くのはオスだけ。繁殖期になると、自分の縄張りを主張して鳴く。メスを求めて」
「交尾のために?」
 振り向いた佳耶子の眼差しに、心の底まで覗かれた気がしてたじろぐ。
「そうだ」
 気持ちの揺れを悟られないように、唇を重ねた。佳耶子の瞼がゆっくりと閉じられる。唇から熱い吐息が漏れた。


「蛙の生態を、ご自分に都合のいいように説明してませんか?」
「いや、これは本当のこと」
 肩を抱き寄せ、襟元にするりと手を差しこむ。指先は膨らんだ胸の頂きに容易にたどりつくが、すでに固くしこった其処に触れることなく、乳輪を丸く撫でさする。感じる部分を触れそうで触れない仕草に、佳耶子は焦れたように身を捩らせた。期待に満ちて股間からじわりと滲む気配がある。
「メスが鳴いてもいいような気がするんです」
 並んで敷かれた夜具に倒れこみ、天井を見つめて呟く。襟元は肩先まで左右に大きく開かれ、白い乳房が隆司の手の平で捏ねられている。
「ん?」
 思わず手を止めた拍子に、佳耶子の上体がゆらりと起き上がった。隆司に覆いかぶさり頬ずりをする。
「メスから求めても……いいですよね」
「もちろん……」
 人間の場合は……と続けようとして、言葉が佳耶子の唇に吸いこまれた。舌を絡ませ貪るように口吸いをする。ぴちゃ、くちゅ。湿った音がしばらく続く。
「ふぅ……」
 唇よりあとに舌が離れていく。佳耶子の表情にぞくりとした。唇は唾液に濡れて光り、その眼は細められ、隆司を見下ろしている。
 指先が喉仏をなぞり、ゆっくりと降りていった。肉付きを確かめるかのように二の腕をさすり、胸板を撫でる。愛撫というよりマッサージの優しさで、体温を伝えあう。眼をつむってされるがままに委せた。微温湯に浸っているような、ひどく穏やかな気分だ。
 佳耶子は浴衣の中央のこんもりした盛り上がりに目を留めると、嬉しそうに微笑む。そのてっぺんを浴衣地の上から、ぱくりと口に咥えてしまう。
「うっ」
 声をあげると、上目遣いの佳耶子と目があった。歯先で軽く咥えている。胸元をはだけられて、露わになった乳房がみだりがましい。口にふくまれた刺戟より、挑むように求める情欲にやられてしまっている。
「生殺しは勘弁してくれ」
 訴えると目を伏せて、先端を唇から離した。その部分だけくっきりと、浴衣に唾液の染みが残っている。塊りの近くに両手を添える。勃起したものに触れず、足の付け根や内腿、陰嚢など、肉茎の周囲ばかりを布地の上から執拗に愛撫している。いちだんと血流が集中し脈打つ。
「お……佳耶子……」
 うめくように言うと、ようやくその遊びを止めた。
「佳耶子が悪い女に見えてきた」
 溜息をついて、その手を猛る場所に導き握らせる。細い指先が絡まって、柔らかなリズムで扱きたてる。聖母なのか悪女なのか分からない、と隆司は思った。たぶんその両方なのだろう。
「あら……」
 手を休め立褄を開くと、勢いづいたものが下着からはみだしている。先端が先走りを滲ませて濡れ、てらりと光る。吸い取るように唇を寄せ、ちゅっちゅと音をたてて口づけした。
「下着、つけてらしたんですね」
「習慣が崩せなくてね。ん? 君は……?」
 今更に気づいて浴衣の裾に手を伸ばす。羞じらって抗うので標的を変え、横たわったまま胸の尖りを弄った。
「ん……はぅん」
 喘ぎを聞いてそろりと裾を割る。今度は抗いはしないが、頬を染めて顔をそむける。
「とろとろ、なんだね」
「あぁあ…………」
 下穿きを着けていない太腿の間は、零れ落ちた蜜で濡れている。湯殿で深く交わった後なのに、こんなになってしまう自分が浅ましい。けれど今は限られた2人きりの夜だという想いが、佳耶子を煽っている。
 蜜に濡れた指先が、割れ目を滑らかに擦る。擦りながら次第に深く潜っていく。膨らみきった花芽を撫で、くち、くちゅりと水音を奏でながら、入り口を刺戟する。
「んんん……あっ、あ……」
 いやいやをするように首を振って、潤みきった目で隆司を見おろした。
「欲しいなら、おいで」
 下着を取り去ると前を開き、天を衝くものを佳耶子に見せる。
「…………はい」
 小さな声で答えて裾をさばき、両膝をついてその上に跨る。片手を添えて湿る場所にあてがうと、息を詰めて腰を沈めようとした。だが、軽く膝を立てた隆司の小さな意地悪に阻まれる。
「あぁ、いや……くっ……」
「どうしたいのか、ちゃんと言ってごらん」
 満たされたい。埋め尽くされたい。触れて入り口を嬲るほど近くにあるのに、それ以上進めないもどかしさに哭いている。
 蕩けた瞳で見つめ、
「い、挿れたいの……欲しいの……」
 懇願を口にする。
「あぁっ!!」
 佳耶子が腰を進め、うずめていくのと、隆司が膝をおろして突き上げるのと、ほぼ同時だった。瞼の奥に白い火花が散る。たまらなくなって、腰を折った。
 顔の上で揺れる双丘の片方をつかみ、もう片方の先を口に含む。佳耶子は堪えきれずに声をあげ、身をよじる。えぐり擦り上げる動きにあわせ、腰が弾み円を描く。接合した場所から漏れる、卑猥な音が鳴りやまない。
 胸の尖りから唇を離すと、佳耶子の肩を軽く押し上体を起こしてやる。貫いているものが体奥深く突き刺さり、身悶える。
「ああ……いやぁ……」
 苦しさに身を伏せようとするのに、両手を握って押し返し、面をあげさせる。
「いいんだ。佳耶子の良くなっていく顔がもっと見たい」
「だめ……だめです。イってしまう……」
 不規則に突き上げられ、体の芯にずしんと響く衝撃が間断なく襲う。乱れていく様を見つめられている事すら、忘れてしまうくらいに。
「まだダメ。イかせてあげないよ」
 そう言うと片膝を手前に引き寄せた。片方の足を抱え、膝でなく足裏をつかせる。片膝立ちで跨っているのを、隆司は見上げている。
「すごい……ここから全部みえる。佳耶子に入っているところが……」
 身じろぎする度に深く咥えこみ、また離れていく様が見える。出し入れにつれ新たな蜜が流れ落ち、肉茎の根元から下草に至るまで、しとどに濡らしていく。
「はあぁっ!」
 その場所を視姦されている羞恥に、のけぞり天を仰ぐ。何かを求めて白い手が宙を舞った。指を絡め握りしめてやると、バランスをとって舟を漕ぐように佳耶子の腰が揺れる。動きと共に真綿で絞めつけるような、中の感触が強まっていく。
「うっ……こら。それ以上動いたらダメだ」
 後ろ手をついて起き上がり、剛直を佳耶子の中に穿ったまま、向かいあった体を抱きしめた。
「今日の佳耶子は、いやらしすぎだね」
「だって、だって……」
 抱きしめられ腕の中にいて幸せでならないのに、高みにのぼる直前まで燃えあがった体が、埋め火を帯びている。繋がった部分だけがひくひくと生き物のように反応する。
「もう、イキたい?」
「……おか、しく……なりそう……イかせ、て……」
 うわごとのように呟くと、体を仰向けにされる。膝を折り曲げ、濡れた場所をよく見えるように開かせると、一度浅く引いて、奥まで深く突いた。
「あぁあっ!」
 ずんと脳天まで響く一撃。掻きまぜられ泡立ち白濁した雫が、窄まりにむかって流れ落ちる。浴衣の帯も解かずに はだけられているのが、自分の思いのままに乱れさせていると錯覚させる。もっと追い上げてみたいと荒々しい動きになる。佳耶子の唇からは、言葉にならない声だけが漏れる。
「あぅ……いい……ふぅん……」
 足指が反りかえり、内腿に力が入る。佳耶子が達するときの癖だった。
「あっ、あっ……あぁぁぁん!!」
 大きく叫んで、佳耶子の体が弛緩した。が、その後もまだ誘うように、中がやわやわとひくついている。
「うっ……」
 堪えて深くえぐり突きこむと、泣いてむせぶ。
「んっ、んっ……はぁっ!!」
 隆司の浅黒い腰に白い足が絡む。佳耶子の腰が浮いた。
「んんーっ!!」
 ひときわ高く哭き、しがみついた体がしなやかに反る。最奥まで打ちこんで押しつけ、こらえていたものを解き放つ。佳耶子の肩をつかんで強く抱きしめた。
 力のかぎり掴まれた肩が痛い。でも、その痛みが愛されている証のように思える。体を離すまでの間、満ち足りた気持ちで肌を寄せていた。



 湯殿でもう一度、汗を流し身支度をする。もはや浴衣とはいえない状態で纏わりついていたものは、汗や互いの分泌物で湿っていたので、持参の衣服に着替えた。
 部屋にもどり静かに扉を開けると、隆司は眠っている。


 疲れているはずなのに、興奮の余韻からか目が冴え冴えとして眠れない。窓を開けると、夜の冷気と一緒にせせらぎの音が入ってくる。
 時間を確認しようとバッグの中を探ると、腕時計と共に錠剤のシートが転がり出た。朝から感じていたもやもやの原因に突き当たり、胸がひやりとする。
 月のものの痛みを軽くするために、処方されている錠剤。同時に避妊にも役立っているのだが。一週間ほど前に発熱した折、どうやら錠剤を飲み忘れたらしい。らしいと言うのは、ずいぶん経ってからそれに気づいたためだ。飲み忘れが妊娠しやすい状態を誘発することは、知っていた。だが今夜、佳耶子はそれを隆司に告げなかった。黙って、何度も体に精を浴びた。
 窓の外の闇を見つめている。これは不誠実なことだろうか。

『いつまでも続けられることではないよ。わかっているね』
『男のほうからは切れないものなんだよ。覚えておきなさい』

 母の言葉が聞こえてくる。別れを言い出すなら、自分のほうからだろうか。いや、そんな事は考えられない。考えたくない。
 いまだ火照った体の下腹部に手のひらを当てる。もし命が芽生えていたらどうするか。そうなっても、それを絶つことはできないだろう。
 変わっていくかもしれない2人の関係。それが怖い。不安と一緒にわずかな期待がある。かすかな可能性に賭けているようで、ひどく切ない。窓から入ってくる冷気にぞくりとして、肌が粟立つ。
 雨の匂いがする。いつのまにか、絹糸のような雨が降りだしている。隆司が寝返りを打つ気配がした。足元でめくれている布団をかけ直す。うっすらと髭の伸びかけた頬。疲れているのか、やや落ち窪んだ眼窩。微笑むと優しげなのに、引き結んでいると頑なさを感じさせる口元。
 こうやって見ているだけで充分だったのではないか。これ以上なにを望むというのだろう。寝顔を見ながら、佳耶子は静かに泣いていた。
 雨音の向こうから、カジカ蛙の鳴き声がする。

『カジカガエルはね、鳴くのはオスだけ。メスを求めて』

 ずっとわたしを求めていて。
 唇だけ動かして、声のない言葉を発する。夜明けには、まだ間があった。



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