n回目のキス


自己顕次 



 乙女の夢とか言うヤツは全く契約的。
 貞節、また貞節。煩わしい履歴主義が、この両肩に圧し掛かってくる。
 あぁ、畜生。一度は一度、二度以降は、穢れているのか。
 生まれるのは一度だけ、初任給も一度だけ…。そして、ロストヴァージンも一回だけ? それは、手術で何とかなるさ。
 でも、キスは手術のしようもなく、一度は一度なんだ。

 もしも夢の中でキスしたら、それは数に数えない癖に、もしも酔っ払ってキスしたって、それも数に数えない癖に、何故、ただの同情のキスは数に含まれるんだろう。或いは、過失だって数に含まれる。
 女同士、子供同士、また、子供が大人にするキスは、数には含まれない。
 あぁ、畜生。数に含まれるキスはいつだって、何かを切っては捨て、切っては捨てる。プライバシーの、とても繊細でナイーブな領域は、何度も踏み越えられては、その回数を記録させる。

 これは三回目…、これは、あぁ、八回目…。あの人とキスする事を夢見て、それが叶わなかった時、私は回数を数え始めた。
 何度も繰り返される、無遠慮で無意味なそれは、私の日記に正の字を刻んでいく。
 それがびっしりと埋め尽くされると、次のページへ。また、次のページへ。契約的な関係が、私の貞節を踏み破っては、私にその記憶と傷跡を残していく。

 みな、取れる所から取る。それを期待する。私はそれに応える。それしかない。それしか有り得ない。
 上から下に落ちるようにして、ただ、そうなるべくしてそうなる。
 通り抜ける人間の数だけ、私の体は知られ、そして、捨てられる。簡便な関係でも、その数だけは記録され、私は中古になっていく。
 いつからだろう。酒を飲む。キスをする。セックスをする。そういう流れがまるで日常になったのは?
 奔放な女と笑うなら笑え。どうせ同情する奴は居ないだろうな。
 遊び疲れて眠る時、罪悪感がするのは誰のせいなのだろう。
 いくらするべき事をしても、誰も遊ぶ時間なんてくれない。次へ、もっと次へと急きたてる声が、私をまた駆り立てようとする。だからこそ、結局私をするべき事から遠ざけていった。

 それも、言い訳だって、嫌と言うほど分かってるさ。私に一つの勇気が足りない事くらい。
 ただ一回、私はあの時に言っていれば…。
 あと一つ、そこから持って行くだけで良かった。そんな思いを何回したって、チャンスが何回やって来たって、私はあの時、あの人にそれを言う訳には行かない。理由なんて無い。でも、そう思うしか、私を責める私の気持ちをなだめる事が出来ない。
 ルーレットが何度回ったとしても、目押しをするまで意中の目には止まらない。

 言える訳もないそのセリフを、あの人に一回だけ言えば良い。
 聡明で美しく、そして清廉で退屈なあの人へ。

 ―――私が「初めて」じゃなくても、愛してくれますか。…と。


*



 私に兄が出来たのは三年前。

 子供の頃から隣に居た人が本当の兄になるなんて。そんな事、思っても見なかった。
 私はその人が大好きで、いつからか、その人の目に入る事しか考えなくなっていた。
 中学生の頃、その人は、私と私の姉の家庭教師をしていた。
 塾講師をしているママの関係から、その人はうちと深い関わりを持ち、その頃からまるで家族のような付き合いで、私や姉の面倒を見てくれていた。

 近くに居る異性。成長するに従って、私は勉強よりも、恋愛に夢中になってった。
 それまでは、お兄ちゃんの気に止まるよう、熱心に勉強をする少女、という演目を演じ続けていた。それも、恋の熱病にうなされるようになってからは、嘘のように吹き飛び、仮面を剥ぎ取られた、不真面目なわがまま少女の本性が現われた。

 三年前、高校に上がった時、私はその人に制服を見せていた。
「どう? お兄ちゃん、あたしの制服、似合うでしょ?」
 あぁ、似合うよ、と、いつものスマイルで私に語りかけるあの人。
 私はそれが嬉しくて、無邪気に飛び跳ねて、その人に飛びついたりもしたっけ。本音は女の子が、その可愛い顔の下で管理して、本当の私を出してくれない。まるで成長しない、小さな女の子は、私をその中から出させてくれない。
 いつまで経っても、その人からは、子供の私。無邪気な私。邪気はどこへ捨てろと言うのか?
 抱きついた時に感じる、異性の匂い。それが私の心を千切って棄てる。

「うふふ、嬉しいなー」
 そう言いながら、無反応なその人に擦り寄って、セックスアピールをする。
 成長した体。あざといまでのセーラー服。懐いていることを口実にして、自慢の胸を押し付ける。それでもその人は、また、無反応でいて、にこやかに笑う。
「美久ちゃんも、もう高校生かぁ…。年を感じちゃうなぁ」
 ははは、と笑って、私の頭を撫で…ようとする。そして、その手で自分の頭を掻き、デリカシーを見せ付けた。

 その言葉を聞いて、私はその人にしがみ付いて話す。
 もうちょっと体が重かったらそんな事も出来なかったろう。
 それは良い事なのか、悪い事なのか…。
「えー、そんなコト無いよ。お兄ちゃん格好良いモン。高校のガキんちょなんて目じゃないよ」
 と言うと、その人は苦笑して、私の顔を見た。
 直視。
 私はその視線に対して直視出来ない。だから、顔を逸らした。
「そう来るかぁ。でもさ、美久ちゃんだってもう子供じゃないんだから、他の人だってもう子供じゃないよ。良い所を見つけて上げなくちゃ」
 上手い言葉。どう切り返せば良いと言うのか。そんな言葉は聞きたくない。そんな言葉は。
 良い所を見つけて上げなさい。上から下へと降る言葉。媚を売っても、いくら売っても、買ってはくれない。
「…そうだよね」
 だから私は、目を伏せながら、そう言うしか無かった。

 もう春休み。どこか行こうよ。三人で。私とお姉ちゃんと、三人でどこか行こうよ…。そう考えてから、何日も経たない内に、卒業を済ませたお姉ちゃんが東京へ行った。
 それと同時の事。その人が、お姉ちゃんと一緒に東京へ行くという事を知った事。
 それが、私の初恋の終わり。
 うちの中に意中の人と付き合ってる人が居るのに、それと知らないなんて、アホみたいだ。
 何度思い出しても、笑えてくる。


*



「私が美里さんを好きになった理由は、その清廉さからです」

 お姉ちゃんは大学に入るまで、処女膜を後生大事に守っていたそうな。そこまで具体的じゃなかったけど、要するにそういう事だろ。
 結婚式のキスがファーストキスだと、お姉ちゃんは言った。
 一途、そんなフレーズなんて聞きたくない。
 私はお姉ちゃんが大好きで、お兄ちゃんが大好きで、そんな私は、あの清廉な二人に裏切られた思いでいっぱいだった。

 破れかぶれになった私は、焼けるような高校生活を送った。
 どこそこにカッコイイ人が居るだとか、どのクラスの男子が可愛いだとか、そういうウワサを聞きつけるたび、私は当然のように現われて、口説いて、口説いて、口説きまくった。
 ホイホイと簡単に付いてくる尻軽男。
 いや、尻が軽いのは、私。
 んじゃチン軽男? ふふ、まぁ、どうでも良いけどさ。

 私は男に、自分をアピールさせ続けた。
「キミの良い所、私に教えてよ」
 男が集まり、季節が移ろうように、すぐに消えて行く。
 顔が良ければ巧いというワケでもなく、自意識過剰とは何か、という確認作業になった。
 柔道部の部長と寝た時は、凄く乱暴で、勘違い至極な奴だった。例の如く自意識過剰で、ナルシスト。つまらないから、一番強いヤツと寝てやると言ったら、部員みんなが血相を変えて殺し合いをしたっけ。

 負けた男達の前で、見せ付けるようにしてキスをした。
 勝った男は二年生で、私と同級生だった。隣のクラスの知らない男。顔を真っ赤にして私の胸をまさぐる、モテない童貞。そんなのに弄ばれる私を見て、柔道部部長は胴着にテントを張っていた。
 ふふん、全く馬鹿なヤツ。
「後輩に負けて悔しくないの? ちんぽも後輩に負けてるわねぇ」
 と言って、悔しがる男子を挑発する。
 この後、私の体で遊んだ子はボコされるだろう。そう思いながら、わざとらしく結合部を見せ付け、飛び切りいやらしく、下劣な女を演じた。

 そいつのアレは大きくて、私も盛り上がった。そいつも初めてだけあって、随分と楽しんでいた。
 中に出されるたび、頭がぐちゃぐちゃになる。それがしたくて、とにかく感覚を飛ばしたくて、男の体でトリップした。
 歯噛みする男の前で、別の男に抱かれる。なんて良い響き。クソみたいな関係が、私に快感をもたらす。
 愛してるよ、の重い響きが、子宮を叩き、睾丸から恥知らずの汁を迸らせた。浮くような快感と、斬れる様な心の喜びが、私の思いを癒す。
 何度もキスをするたび、また、私はその数をカウントした。
 頭に焼き付くような羞恥心と、それに勝る快感。充足感。ヤラせて上げるからって言って盗ませたメロンを食べた時は美味かったなぁ。それに似てる。
 濃厚なキスシーン。
 部員に見せ付ける、奔放なセックスシーン。
 何度も、何度も、天下一武道会は繰り広げられ、歯噛みする敗者と、涎を垂らして喘ぐ勝者が選抜された。

 それは、すぐに問題化した。
 詰め寄る両親、教師。うるさい。
 私を取り巻く環境は、雑踏に満ちて、ちょっとした高揚感を伴った。
 ウルサイナママニハカンケイナイデショアンタハカンケイナイデショキエテヨジャマヨウザイノヨシッタコッチャナイデショワルイコトナンテナニモシテナイデショワタシニハジユウハナイノウルサイヨソダテタオンデワタシヲシバルナラシバリナサイヨウザイッテイッテヤルカラナンドデモイッテヤルカラ
 押しが強い事で、全てを成し遂げた。
 私の叫びは私の耳に五月蝿くて、とても私はそれが気持ち良かった。発声の出来てる私。何度コーラスで花形になった事か。
 当然、パパとママと私の関係は破錠した。

 その後も、何人もの男が私の体を駆け抜けて行った。
 おもねる男達。お前に興味は無いよと言わんばかりの目をしながら、私のケツを眺め見るチェリーボーイ。そして自意識過剰な男達。
 暫くすると、アレが巧い男とヘタな男の見分け方のコツが分かって来た。それは、配慮の有無。
 人を見て人に接する人と、自分しか見ない人、どちらが巧いかなんて、比べるのもバカらしい。
 あぁ、あの人は巧いだろうな。配慮、配慮、配慮、配慮、配慮…。私にデリカシーは無い。

 そう、上手いヤツは、配慮の出来るヤツ。
 どうせ体目当ての癖に、デートコースの計画だけはやたら念入りで、配慮の出来るヤツ。でも、そういうヤツじゃないと、灼けるような快感は得られない。
 私はそのパターンを踏んで、見事篭絡される。シナリオ通りの、時計仕掛けの恋愛群像。
 夢破れたり、恋敗れたりのフラれ女達は、それが欲しくて堪らない。だから固唾を飲んで、颯爽とした男達に色目を使った。
 それを持って行くのは、顔が良く、ナイスバディなこの私。ふん。
 体目当ての男達には、顔と体しか武器は無いのか。

 この前、珍しくラブレターを貰った。それはとても嬉しかったが、何しろその相手の顔がアレなので、うげって思った。
 だから、その人の前でラブレターを破って、細かく千切って、食べて見せた。笑いには体張る方なのよね、私って。
 唖然とするその人に、いきなりキスをして、んべーっと食後のベロを出すと、変な顔をして逃げて行ったっけ。
 あれは512回目のキス…。そう日記に書いてあった。
 良い人がモテれば良いのにさ。中々上手く出来てないよね。
 結局は…良かろうが悪かろうが、出来るヤツは出来て、出来ないヤツは出来ないだけ。好き嫌いも、まるで技能のように、駆け引きの道具に使われていった。

 そんな奔放な私に降りかかる好機。
 奇跡は、何も無い所にこそ似合う。


*



 大学に入ってちょっとした時、お姉ちゃんが事故死した。
 あの人は、物凄く声を押し殺して泣いていた。私も凄い悲しかったけど、嫉妬心と亡失感で一杯だった。
 お姉ちゃんの入った棺桶を見つめながら、思った。
 あぁ、この人は本当に夫婦をやったんだ。夫婦をやったんだ。と、何度も頭の中で繰り返し考えた。

「お姉ちゃん…どういう奥さんだったの?」
「優しい人だったよ。…とても、優しい」
 その言葉を聞いて、あぁ、と思う。
 泣きそうで、泣きそうで、堪らなく泣きそうで、私は喉の奥にある、少し尖った痛みを押さえ込む。
「へぇぇ…。それに、お姉ちゃんってば綺麗だったもんね。勿体無いなぁ…。美人薄命ってヤツ? …ふふ」
 そこまで言うと、パパが立ち上がって、私の頬をいきなり叩いた。
 パシッ!と乾いた音が響き、私はよろめく。
「…場を考えろ」

 私はキッ!とパパを睨み付けると、走り出した。庭へ向かう。うちは無駄に広い。その後をお兄ちゃんが追いかけた。
 私が息を切らしながら庭に付くと、カコーン、と鹿威しが鳴る。
 あれって意味不明だよね。面白いけどさ。
 家から見えない位置に身を隠し、そこに座り込んだ。

 追いかけてきたお義兄ちゃんが、私の視界に入る。
「喪主が抜けちゃいーけないんだー」
「はは…」
 空笑い。
 その笑い声を聞いて、私も不健康な笑いを漏らした。
「元気…だったのにねぇ…」
 と、急に私は話題をお姉ちゃんの物にする。
「そう、だね」
 私にデリカシーは無い。
「二人の馴れ初めって何?」
「は?」
 私の急な振りに、お義兄ちゃんは戸惑った。

 それに対して、間髪入れずに、会話を続ける。
「お義兄ちゃんが、お姉ちゃんを好きになったきっかけ」
 そんな振りに、お義兄ちゃんはひくつくように笑うと、ゆっくりと口を開いた。
「美久ちゃん病気がちだったじゃない、昔さ。それで、お姉ちゃんが良く熱心に看病してたよね」
 …。
 そうだったなぁ、と、私は大して昔でも無い事を、まるで何十年も前の事かのように思い出す。
「参ったな、私がきっかけ? はははっ」
 そう笑うと、お義兄ちゃんもクスリと笑った。
 その笑顔が寂しげで、酷く滑稽で、お慈悲に預かる私の良心を苛んだ。

「良い人なんて…どこにだって居るよ。お姉ちゃんだけじゃないよ」
 地面を見つめながら、私は一人、呟くようにして、そう言った。
 背中にあの人の気配。見る事が出来ない。
「そう、美久ちゃんは良い人見つかったんだ?」
 とっくにね。
 それに、カッコ良い人なんて、いくらだって見つかるよ。

 ―――ずっと貴方が好きでした。
 また、その時にそう言えれば…。何度も考えたよ。中学の頃から、何度も、クリスマスだの、正月だのってイベントがある度に、そう言えればって。
 でも、泣き腫らしたお義兄ちゃんの顔を見ると、胸が詰まって何も言えない。
「ふふ…そうだよ、いっぱいね、いっぱい居るんだ」
 だから、私の提案はいつも突飛で、まるで不謹慎なんだ。
「ねぇ、私とキスしない?」
 にこっと笑って、あの時の様に、意中の人に抱き付いてみる。
 そしてあざといまでに色っぽく語りかける。胸を、自慢の胸を押し付けながら。
 胸が苦しい。
「お姉ちゃんと私って似てるでしょ。こう言うと笑うかも知れないけど、性格だってそっくしなんだから、癖もそっくりだと思うよ」
 ―――好みだってそっくりね…。

 でも、お義兄ちゃんは体を固くしていた。
「いくらなんだって、そんなコト出来ないよ」
 そっけない態度で、いつもの通り、私を拒絶する。
 分かってたよ。
 だから私は体を離して、呟く。
「…そうだよね、好きな人とするんだよね、キスは」
 その口調は、思いの他情感が篭っていて、寂しさが出ていた。

 お義兄ちゃんがこっちに振り向いた。ふと、お義兄ちゃんのズボンを見ると、その前が膨らんでいた。
 一瞬驚いて、すぐに…ははぁんと気付いた。一回、自分の体を眺める。
 私はくくっ…と笑う。
「お義兄ちゃん、前、テント張ってるよ」
 指摘すると、お義兄ちゃんは真っ赤な顔になった。
「あ!? う、わっ…!」
 大慌てで後ろに向きなおるお義兄ちゃん。ふふ、無意味。
「私の胸でおっきくしちゃったんでしょぉ」
「ご、ごめん…」
 ポリポリと頭を掻くお義兄ちゃん。
「わっかいねー。やっぱ溜まってんの?」
 と言うと、お義兄ちゃんは無言になった。
「…」

 その空気が嫌で、私はわざとふざける様にして、お義兄ちゃんの背中に再度飛び付いた。
「わっ!」
「ふふふ、一回抜いとく?」
 前に手を伸ばし、ズボンのベルトに手をかける。
 お義兄ちゃんは大慌てで私の手を掴むと、私を体から引き剥がした。
「み、美久ちゃん! お姉ちゃんの葬式なんだよ…。今日は、お姉ちゃんの」
「知らないよ、そんなコト関係無いよ。したいなら、すれば良いじゃん。したいんでしょう?」
 そこまで言うと、お義兄ちゃんは私を嫌な目で見た。

「美久ちゃん、もう…お姉ちゃんは帰って来ないんだよ? それなのに…」
 言葉を切って、唾を飲み込んだ。
「それなのに、君は、…な、何とも思わないのかい?」

 その言葉が、私の胸を深くえぐる。
「な、何よそれ…」
 ひゅっ、と喉が鳴って、私の声が急にすぼまった。
「な、何、何よ、何よ」
 目元に熱い物がこみ上げて、私は激情に飲まれる。
「わっ、私だって…、私が…一番…」
 私の胸の中に渦巻く思い。
 子供の頃から、ずっと、ずっと溜め込んでいたその思いが、私を絞め付け、苦しめる。
 あぁ、優しい表情。なんて親切な。畜生、悪い思い出がとにかく必要だ。
 お姉ちゃんはいつも元気で、明るくて、優しくて、ろくにケンカもしなかった。
 嫌だ、嫌だ。泣きそうになる自分を、必死にお姉ちゃんの面影から遠ざけようとする。しかし、お姉ちゃんの面影は、決して私を離そうとしない。

 誰も知らない。誰もそうだと知らなくても、むしろ、自分で嫌がっても、今日と言う日、そして過去続いてきたその思い出が、ひたすらに私自身がそれを恋しがっていた事に気付かせる。
「何よっ! 何も知らない癖に! わ、私の方がぁアンタよりずぅっとお姉ちゃんの事を知ってるんだ!」
 嫉妬心、憎悪、吐き気、寂しさ、何もかもが無意味に思う。
 私からお義兄ちゃんを奪ったお姉ちゃん。それが恋しい。恋しくて仕方が無い。
 誰を恨めば良いのか分からなくなる。取り戻せない物は、そんなに多くは無い。しかし、それを取り戻そうとする気力は、十分に削げ落ちていた。
「く…ひっ…」
 私は膝の力が抜けて、芝の上に座り込んだ。肩が震える。涙が出そうになり、それを堪える。

 そんな私の傍に、お義兄ちゃんが近寄って来る。
「…ごめん…酷い事言ったね。ごめん」
 軽薄な声が、心ここにあらずの響きで、私の空っぽな脳みそを揺らす。
 私はまた、軽薄に笑う。
 叫ぶのは疲れる。それよりも男の体温、匂いが欲しい。
「キスして…」
 だから、いつものように、知らない男にするように、キスをせがむ。
 …気軽な思いが、私に勇気を与えた。
 今まで言えなかった事が、まるで自動的に、とで言うように、口を突いて出る。
「寂しかったんだよ? お義兄ちゃんも、お姉ちゃんも一緒に居なくなっちゃってさ…。私…」
 そんな軽薄な口調でも、私の耳は勝手にその音を拾って、自分自身の言葉の切なさにやられる。胸が痛んで、もっと勉強しておけば良かったと、場違いな考えを巡らせていた。

 お義兄ちゃんの口が近づく。
 それはふっと現われ、ふっと付いて、感触はすぐに消える。
 …これは1,086回目のキス。
 その数が頭をかすめると、私は流れる涙を止められそうに無かった。

「私…お姉ちゃんが好きで…、でも、お姉ちゃんが羨ましくて、妬ましくて、それで…私、お姉ちゃんに、何度も死んじゃえ、死んじゃえって、死んじゃえって、そう思って、でも、でも、そうなっちゃうと、でも、死んじゃうと、でも、私、でも、凄くお姉ちゃんが羨ましかった、凄く! 凄く、何度も、何度もそうやって思ったのよっ!」
 わっ、と泣き伏せる私を抱き止めて、お義兄ちゃんが空を見た。いつも遠くを見ているお義兄ちゃん。私はまた、その胸の中に顔を埋めて、わんわんと泣いた。体面も何も無い泣き方で、私はずっとこうして泣いていたいと思った。

 お義兄ちゃんの手が動いて、私の喪服をずらしていく。
 胸に手が差し込まれると、私は思いの他、体を緊張させていた。
「え…ぐっ、や、ヤダっ」
「…」
 お義兄ちゃんは無言で私の頬を掴むと、その整った顔を私に寄せる。私はその顔から目が離せず、近付いて来る口元を震えながら見つめた。
 それが、1,087回目のキス…。
 密着する粘膜。タバコの匂いも、アルコールの匂いも、そこには感じられなかった。私はそれが怖くて、あまりに怖くて、体を捩らせる。
 しかし、お義兄ちゃんの力は強くて、私は身じろぎ一つ出来そうに無い。

 脳に一番近い性感帯。
 最も大事な場所。
 切り売りできない場所。
 そこを思い人が心行くまで蹂躙する。
 ねばつく感触が私の脳を包む様にして愛撫する。粘着質な音が響いて、私は耳を塞いだ。余計に、それが体の中から聞こえてくる。
 泣いても笑っても、気持ち良い事をされたら濡れてしまう。体が反応して、足が震えた。
「美久ちゃん…」
 お義兄ちゃんの声が近くから聞こえ、私は目を瞑った。そこから流れる涙は、お義兄ちゃんの胃に消えていく。

 1,088回目のキスが施されるに合わせて、私の服が脱がされる。
「和服って、本当に下着つけないんだね」
 と、耳元で軽薄な言葉が囁かれる。
 望んだ事が私をレイプする。
 胸を揉まれ、内股を触られる。逃げる口実が思い付かず、それを正当化する為のセリフも言えず、私は幼い頃の、憧憬にも似た恋愛のカタチを思い浮かべる。

 お姉ちゃんとお義兄ちゃんの恋愛のカタチはどうだったのだろう。
 私はそんな考えが自分を痛めつける事を分かっていながら、それから逃げる方法を考えられずに居た。
「ダメっ…! 嫌ぁ…っ」
 急に冷めた反応を示す私に、お義兄ちゃんは耳元で囁く。
「…美久ちゃんが誘ったんじゃないか。それに、…初めてじゃ無いんだろう?」
 その言葉が、ぎゅぅ…っと心臓を搾る。
 涙がこぼれ、私は思い出せる限りの男達の顔を思い浮かべた。記憶の中でその男達の性器の形と顔が一致しないほどの人数。

 結局私は何がしたくて、何がしたくなかったのか。
 無抵抗な私を見ると、お義兄ちゃんはその愛撫をより激しい物に変えていく。手馴れないセックス。まるで童貞のような、荒々しくも瑞々しいセックス。痛みが新鮮で、何故か心地良い。
 目の前にあるお義兄ちゃんの顔が、私から抵抗心を削ぎ落としていった。
 1,089回目のキスが、私の口の中の形を覚えようと動く。モノにされる快感。モノにされる恐怖。似たようでいて、それは全く違うものだった。本当にこれが欲しかったのか、もう分からない。
「入れるよ」
 私はもうひたすら動き続けるお義兄ちゃんの顔を凝視する事しか出来ず、何を考えたら良いのかを考え続けた。

 慣れ親しんだ物が入ってくる。私は声一つ上げない。
 勝手に私の粘膜がお義兄ちゃんを歓迎し、もてなした。中で喜ぶお義兄ちゃん。その感触が、妙に生々しかった。
「いっ…良いよ」
 情け無い声を上げて、また、1,090回目のキスをする。
 入れられながらのキスは、また違った感覚があり、その密着感に陶酔する。
 私はお義兄ちゃんの背に腕と足を回し、ぎゅっとしがみ付いた。お義兄ちゃんの呻き声が聞こえる。それと同時に、もっと入って来ようと、舌とペニスが、私の上下の口にキスをした。

 唇を舐められ、唾を入れられる。それを私が舌で弄ぶと、お義兄ちゃんは深い満足の溜息を漏らし、何度も何度もそれを繰り返させ、私の胃に納めさせる。
 舌を引き出され、それを吸われ、舐められる。
 大して上手くも無い愛撫が、私に異常な快感をもたらした。私は倒錯感に打ち震え、お義兄ちゃんにしがみ付いて弄ばれる。
 お義兄ちゃんはそんな私を見ながら、うっとりと、私の粘膜を遊び、子供をあやすようにして私の頭を撫でた。
 ハァハァと息を荒げ、好きなように私の奥を知って行く。打ち据えられる性器が、今日は何だかとても滑稽に見えた。

 お義兄ちゃんが私の足を開く。そして、そこを見る。私は余りの羞恥心に鳥肌を立たせた。
「あぅぅ…」
 それでも私は抵抗できない。見れるだけ見られ、触れるだけ触られ、突けるだけ突かれ、遊べるだけ遊ばれた。
「あぁっ、んふぁ…や、ぁ」
 そんな私の姿を満足げに眺めながら、単調なピストン運動で私を追い込もうとするお義兄ちゃん。異常なシチュエーションが、それでも私を追い込んでいった。
「らっ…だ、め、…あぁぁ」
 情け無い声が出て、その声を聞いたお義兄ちゃんがより硬くなり、熱くなる。その厭らしさが、余計に私を興奮させて、勝手に収縮し、体を痙攣させる。

 快感に飲まれそうになった瞬間、お義兄ちゃんは私のクリトリスの皮を乱暴に剥いた。
「ひぃぃーっ!?」
 どこぞの馬の骨に開発され尽くした私の体は、私を困惑させても、私の自由にはなろうとしない。苦痛があっても、それはセックスに都合の良いように反応し、私を快楽の園へ導いて行く。
 急激な刺激が、また、お義兄ちゃんを締め付けさせる。その感覚が欲しいのか、お義兄ちゃんは何度も何度もクリトリスを揉み込んだ。
「いっ…良いのか? 良いんだろ? うぉっ…」
 興奮しきった声が私の耳を愛撫する。それが、私の意図と無関係に、私の体を快感の海に放り投げる。

 そして、1,091回目のキスが、私を絶頂へ持ち上げた。
「むぁぁ…っ、あ…ぁっ…」
 私の体が痙攣し、目の前にはいくつもの閃光が舞い散る。それと同時に、お義兄ちゃんも絶頂感に打ち震え、私の体にがっちりとしがみ付いた。
「うっ…」
 と小さく呻くと、私の中に放っていった…。


*



 情事の後、後処理を済ませた私は、喪服を調えて、芝の上に寝転んでいた。その隣で、お義兄ちゃんも。
「お姉ちゃんがね、美久の事、凄く可愛い、可愛くてしょうがないって、そう言ってたよ」
 デリカシーの無い人は、セックスが巧くない。思いの他、お義兄ちゃんはセックスが巧くなくて、私は少しほっとした。
 お義兄ちゃんは、そんな私の頭を撫でると、フッと笑った。
 一途な私の思いが、いつだって私自身を苦しめる。それが消えて欲しくて、消えろ、消えろ、と何度も願いを込めたのは、嘘だ。
 嘘の願い事が叶うワケも無い。

 私は目を瞑るお義兄ちゃんの口に、自分の口を寄せた。
 私は何度、この瞬間を夢見たろう。
 そして消える。一瞬で立ち現われては、こちらを見ずに消えていく。
 セカンドキス、サードキス、フォースキス、フィフスキス…。どこまで無意味な名前を連ねても、ファーストキスは失われたまま。
 n回目のキスは、名前を付けてはいけません。



――― fin.





Copyright (c) 自己顕次 18禁小説の部屋 ○○の紙一重


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