コワイユメ ―― 1 ―― 今夜は飲みすぎだな。天井がまわっている。 ぐるぐるの変てこな渦に巻きこまれて、どこかに落ちていく。小舟に揺られているような、気持ちいいのと悪いのとの紙一重の感じ。頬っぺたがひどく熱い。 渦の中に落ちて、ひきずりこまれていく。 頭の中で“あたし”が、誰かに話しかけている。わたしはそれを上から見ている。 “あたし”はわたしと一緒なんだけど、ちょっとだけ違う奴のようだ。即席で幽体離脱して自分を上から眺めてる気分。いろいろな思考が流れこんでくる。やっと受験が終わったとか、新しい制服が楽しみだなとか。 しばらく眺めていて“あたし”が誰だかわかった。 下にいる“あたし”は、高校に入る前のわたしだ。 さっきからあたしが話をしている、この男のひとは誰? あぁ、先生だ。ひさしぶりだね。そうか、これは夢なんだ。だって先生とはずっと会っていないもの。 夢の中の“あたし”は、先生と肌を重ねている。あったかくて気持ちが落ちつく。上から見ているだけでも、“あたし”の気持ちは全部わたしにもわかる。 「………………」 え? いま先生、なんて言ったの? イヤだあ、恥ずかしいよ。でも駄目なんだね。先生が命令したら、あたしはイヤっていえないんだ。必ずその通りにしなくちゃいけないの。 「いい子だ、真里子。ずっと続けなさい。僕がいいと言うまで、やめてはいけないよ」 はい、先生。ちゃんと触ってます。やめたり……しません。 「これもだよ、真里子。忘れちゃいけない。わかってるね」 はい。ちゃんと持って、いじります。だから先生、いやらしい真里子のこと、嫌いにならないで。 嫌われたくなくて、あたしは一生懸命だ。あそこに出たり入ったりする先生のものを、言われたとおり指を伸ばして掴んでいる。先生のものはあたしのいやらしい場所から流れでた蜜でぬるぬるになってる。手のひらまで生暖かい液体にまみれて、指先が滑ってしまう。 でもこれをすると先生はとても気持ちがいいみたい。すごく喜ぶ。 「じゃあ聞くよ。いやらしい真里子のそこは、どうなっているの?」 あたしは答えられない。先生の聞き方はいつも優しいけれど、ちゃんと答えないと叱られる。お仕置きされちゃう。 恥ずかしくて言えない。先生が大好きだから言えない。大好きなひとにそんなこと。 「もう一度だけ聞くよ。答えなさい、真里子」 小さな声であたしが何か言っている。恥ずかしさでよけいに感じてしまう。先生の腰があたしの上で跳ねた。深く進んで、先生のものがあたしの奥まで、根元まで埋まる。 駄目。あたしどんどんよくなる。 「よく言えたね。でも右手がお休みしているよ」 はい。ごめんなさい。 「ちゃんと触るんだ。まだやめていいって言っていないよ」 はい。ちゃんとクリちゃんを、真里子さわってるから……せんせい……。 「気持ちいいんだね。感じているんだね」 返事をする代わりに、体が小刻みに動いている。気持ちいいさざ波が押し寄せてくる。 「そう、上手だ。気持ちよくなったら、そんな風に動いていいんだよ。真里子のリズムに合わせてあげよう」 よかった。体が勝手に動いてしまって、叱られちゃうかと思った。あたしの腰がもちあがるのに合わせて、同じリズムで先生が突きいれる。くいって腰が動くと、先生が奥まではいってくる。クリちゃんを、膨らんで充血した突起を触っている指も、一緒に動く。 あたしのあんあんいう声も同じリズムになる。好きなひとの前でこんな恥ずかしいこと、今すぐにでも止めたいのに、気持ちよすぎて手が機械みたいに素早く動く。 「いいんだよ。続けなさい」 気持ちいい。すごくいい。 好き、すき。先生だいすき。 真里子なんでも先生の言うとおりにするから、どこにも行かないで。 お腹のあたりが、気持ちいいでいっぱいになる。それがだんだん上がってくる。 もうすぐ、もうすぐ……。 「えっちな真里子、いやらしい真里子。大好きだよ」 体ががくがくする。うれしくって体中が震えてる。 あたしもだよ、先生。 だからどこへも行っちゃ駄目。先生……せんせい……。 「うわッ!」 意味不明の声をあげて飛び起きた。傍らで目覚ましもけたたましく鳴っている。 「久しぶりにあの夢か……」 パジャマは汗でべっとり、喉はカラカラ。 喉が渇いているのは単なる二日酔いのせいだけど。 ドガッ! 隣の部屋との境、間仕切りが蹴られた。 「お姉ちゃん、うるさいよ! 目覚まし、さっさと止めてよ。こっちまで起きちゃうよ」 なにをいう。あんたこそさっさと起きろ、このぐうたら女子大生め。 腹立ちまぎれにお返しとばかり、ドカドカと壁を二発蹴り返して、シャワーを浴びに階下におりる。 「何なのよ、あんたたち。朝っぱらから騒々しい。 これ、真里子! 朝の挨拶ぐらいちゃんとなさい!」 「おあよ……」 歯ブラシくわえたまま、メクジラ立てて怒っている母にとりあえずの挨拶。 「まったくもう。いい年した娘が朝帰りなんて……」 小言が続いているのに背を向けて、風呂場でシャワーを浴びる。さっきまでの夢が嘘のような、いつもの朝の光景だ。できれば朝帰りじゃなくて午前様と言ってほしい。昨夜帰ってきたのは一時半だったんだから。まだ夜中のうちだ。 降り注ぐ湯しぶきに、だんだん頭がクリアになってくる。昨日は学年会議の後に飲み会になって、同僚のグチをさんざん聞いて、それから……。 家に帰りついて寝るまでの記憶が若干あいまいだが、駅で同僚に手を振って別れたところまでは憶えているから、まぁいいだろう、うん。 手早くシャンプーしながら、さっき見た夢を考えてみる。 原因は多分これかもしれない。 鏡にうつった自分の姿、左胸の脇についた薄赤いくちづけのあと。 数日前に隣の市にでかけ、そこで出会った名前も知らない年下の子とセックスした。わたしは男性と寝て感じるのかどうか試したかったのだ。 その時についた痕跡。 あの子の言葉が今も耳に残っている。 「お姉さんってさ、もしかして不感症なんじゃない?」 感じてる演技は上手にできたつもり。年は下でも相手のほうが一枚上手だった。行為がすんだあと、ズバリ聞いてきた洞察力に、ちょっと舌を巻いた。 「どうしてそう思うの?」 「なんかさ、違うんだよ。無理してるっていうか。 俺、それなり遊んでるから、けっこう自信あったんだけどな」 「んーっと、それは君のせいじゃないよ。あたしのほうの問題。ごめんね」 遊びなれているようで、瞳の奥はどこか澄んでいる。その瞳にむかって素直に詫びた。この子の誘いに乗ったのも、誘われるように仕向けたのも、わたしなのだから。 「俺、難しいことはわかんないけど、お姉さんの場合さ、カラダじゃなくて気持ちの問題って気がするよ。好きなヒトとか、いるでしょ」 「ん、そうかもね。でも今は会えない……」 率直な口調に好感がもてた。名前も互いに知らないけれど、この子を一夜の友に選んで正解だと思った。 ぽろりと本音を漏らした照れ隠しに、キスをひとつした。お礼のキスを。 「あ、こらっ。何してるの」 いきなり抱きつかれて、胸元を強く吸われた。胸の横に赤い花びらが散った。 「なんかちょっと妬けた。大変そうだけど、がんばんなよ。お姉さんも、さ」 「ありがと」 ホテルの前で笑顔で別れた。二度と会うこともないだろう。 そんな事を考えながら、ドライヤーをかけ口紅をひく。母じゃないけど、つい溜息が出そうになる。これでいいのか、二十七歳のわたし。 お友達の誰々さんちは、もうお孫さんができたらしいのよねぇ、等というエンドレステープのような母の話をBGMにして、手早く朝食を胃におさめる。どうやら母にとっては、『いい年をした娘が嫁にもいかず、恋人もいないようだ』という現状が納得いかないらしい。十人十色という諺を知らないのか。 「たまには早く帰ってきなさいよ」 釘を刺すのも忘れない。 丘の上の、わたしが卒業した女子校が、今のわたしの職場だ。世の中からちょっとかけ離れた規律や決まりで動いている学校。もちろん生徒たちはそれに合わせて生活するフリをしているだけなんだけど。 「真里子せんせー、ごきげんよう!」 「ごきげんよう、相原さん。真里子先生って呼んじゃダメっていったでしょう。シスターに聞かれたらまた叱られるわよ」 「だいじょーぶですよ。ちゃんと表と裏の使い分け、できてますもーん」 相原は小生意気だが憎めない生徒だ。すらりと伸びた手足に、わたしがかつて着ていたのと同じ制服をまとっている。ベージュのシャツに紺のタイ。紺のジャンバースカート。金ボタンのついた同色のジャケット。 いつもの朝の光景だが、今日はひどくそれが眩しく見えた。朝の夢のせいだろうか。 わたしはいつまで過去をひきずっているのだろう。 「ねぇ、真里子せんせ? いっつもそのロザリオつけてますよね」 「え? あ、そうね」 「それ素敵だけど、今日のスーツには合わないと思うな。真里子せんせ、らしくなーい」 「ふふ……これはお守りだからね、はずせないのよ」 いまどきの生徒たちの服装チェックは手厳しい。今日はブラウン系のスーツなので、シルバーの鎖についたロザリオは似合わないと言いたいのだろう。 たしかに今日の装いならゴールドにするべきだ。でも……。 「あれ? 先生って洗礼うけてましたっけ?」 「うぅん。違うけど」 「へぇーっ。意外にマジメなんだー」 宗教上の理由など、わたしには何もない。 なんでこのロザリオは、はずせないんだろう。 「そういう訳じゃないけどね」 微笑みながら相原と一緒に、昇降口まで歩く。 ふいに降って湧いた疑問。指が首もとのロザリオに触れる。 どうして、これが……。 ――これは……だよ。このロザリオはいかなる時でも、はずしてはいけない。 頭の中に声が響いた。 どくん。 何か思い出せそう。何か……。 ――約束のしるしだから、はずしてはいけない。 わたしは誰と約束したのかしら。 ――真里子。これは命令だよ。 先生……。これは先生の声だ。 どうして今まで忘れていたんだろう。こんな大事なことを。 「茅野先生っ。どうしたんですか」 近くで相原の声がする。気づくとわたしは、校舎のそばでしゃがみこんでいた。 「あ……ちょっと立ちくらみがして」 「保健室に行きます?」 「ううん、もう大丈夫よ」 相原の手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。少し眩暈はするが気分は悪くない。 「それにしても、ちゃーんと茅野先生に戻るのね。あきれた……というより感心したわ」 「だってぇ。向こうに地獄耳のシスター日比野がいるじゃないですか」 ひそひそ声が返ってきた。 「こらっ!」 「うふふっ。じゃあ茅野先生、のちほど。ごきげんよう!」 スカートの裾をひるがえして、相原は昇降口にむかって駆けていく。 同じ制服を着ていた頃のわたしは、どうだったろう。相原ほど屈託なく学校生活を楽しめていただろうか。 正直にいってうろ覚えだ。記憶がないのではない。ルーティンの日々をこなすだけで、印象が薄いのだ。先生との、この体に刻まれた強烈な日々に比べたら。 またくらりと立ちくらみを起こしそうになった。こめかみを押さえて自分に言い聞かせる。あの日々は過去のものだ。先生はわたしのそばにいない。記憶がどんなに鮮明でも、戻ることはできない。 それでも、消息を絶ってしまった先生に会えたら、わたしの何かが変わる気がした。 To be continued... |