囮捜査

――1



「ねぇ、聞いてよ、蘭。隣のクラスからの情報なんだけど」
 放課後の帰り道、園子は憤懣やる方ないといった様子だ。
「米花線の決まった車両に、すんごくシツコイ痴漢がいるんだって。ヤられちゃったコは、怖くて電車に乗れなくなっちゃったって」
「えーっ?」
「大きな声じゃ言えないけどさぁ……」
 さすがに辺りを憚るのか、園子の声が小さくなった。痴漢行為の詳細が語られているのだろう。聞いている蘭の顔が、赤くなったり蒼ざめたりする。
「ひっどーい、女の敵ね。許せないっ」
 瞬間湯沸かし器並にメラメラと、殺気が吹き上がる。園子の目には、蘭の姿が炎に包まれたように見えた、かもしれない。
「そうよ、蘭。その意気よ。痴漢なんてボッコボコにしてやって!」
「聞き捨て……ならないなぁ」
 二人の会話に、長身の美女が割って入った。
「ふふふ、聞いちゃった。米花線で悪質な痴漢ですって?」
「「さ、佐藤刑事ー!」」
「自分達で痴漢を何とかしようなんて、考えちゃダメよ。こういう事は警察に任せておいてね。わかった?」


 数日後の朝、通勤のサラリーマンで混雑する米花駅前に、人待ちげな高木刑事の姿があった。
「お・ま・た・せ、高木くん」
 ポンと肩を叩かれ、振り向きざま絶句した。
 ぴっちりしたミニスカートに包まれた、引き締まったヒップは言うに及ばず、何よりスラリと伸びた足が美しかった。目のやり場に困るなんてものではない。
「さ……佐藤さん。さすがにそれは、挑発的では……」
 普段はパンツスーツで隠されている脚線美が、いま高木の目の前で惜しげもなくさらけ出されている。少し濃い目の化粧、艶やかに彩られた唇も蠱惑的だ。
 こうやって立ち話をしている間にも、通りすがりの男が何人も振り向いて美和子を注視している。
「あら、似合わないかしら」
「いえっ。と、とっても似合ってますっ!」
 夏らしくアイボリーのスカートに、同色のジャケット。キャミソールはレースで縁取られ、胸元の露出度も高い。形の良い鎖骨には、涼しげなストーンのネックレスが揺れている。肩から提げた派手めのバッグは見慣れないもので、いつもの佐藤刑事のイメージとかけ離れていた。
「実はね、バッグとアクセサリーは、園子ちゃんに借りたのよ」
 呆けて見つめる高木に、美和子が耳打ちする。
 接近した拍子に胸の谷間が見えて、思わず本来の目的を忘れそうだ。
「じゃ、行きましょうか」
「はいっ!」


 米花線に出没する悪質な痴漢の情報は、現場の刑事たちの耳にも届いていた。悪戯半分で女性のスカートを切ったり、混んだ車内で女性の体を触った挙句、太腿やスカートを精液で汚すなど、日々その行為はエスカレートしている。
 中には体を触るだけで飽き足らず、携帯で下着や局部の写真を撮る輩までいると言う。女の子が動揺している隙に生徒手帳を抜き取って、それをネタに口止めしたり、脅迫行為に及ぶという噂も聞かれた。
 そんなこと、放っておけない。
 美和子は唇を噛み締めながら、ヒールの音を響かせて駅構内を闊歩する。その後ろをついて歩く、高木刑事の心配そうな顔色に気づく事はなかった。
 混雑するエスカレーターを避け、二人は階段を上っていく。美和子より数段下を歩く高木の目線からは、スカートの内側にある、スラリとした白い太腿まで見てとれる。会った時には気づかなかったが、ストッキングを履いていない素足である。こうしている間にも、佐藤刑事の肢体が、他の男たちから視姦されているかもしれない。使命感に燃えて昂揚する美和子とは正反対に、高木刑事の胃はキリキリと痛む。
 つかず離れずして上ると、角度によってはショーツが見えそうなほどで、高木は時ならぬ動悸を鎮めるために大きく息を吐いた。
 美和子がピタリと立ち止まる。
「ちょっと、高木くん。何でついてくるの?」
「あ、や、その……佐藤さんに何かあったら大変ですし」
 まさか、スカートの中身に気を取られていました、なんて言えるわけもなく。
「カップルに痴漢を仕掛けてくる奴なんて、いないじゃない。少し離れた場所から、私をサポートするのが高木くんの役目。合図をするまで近くに来ちゃダメよ。いいわね?」
「……了解です」
 混んだホームで電車を待つ間、美和子は周囲を探る事を忘れなかった。特に不審な人物は見当たらない。だが、何度か背中に焼け付くような視線を感じた。それが誰のものであるか判らず、不安ばかりが募る。静かに深呼吸をすると、高木刑事の姿を目で追う。目指す相手を柱の陰に見つけると、美和子に平常心が戻った。
 今日は痴漢に遭遇するまで、ラッシュ時の米花線を何往復かするつもりだ。
 軽快なチャイムが鳴り、銀色の車体がホームに滑りこむ。危険な囮捜査が始まった。





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