大学に入ってちょっとした時、お姉ちゃんが事故死した。
あの人は、物凄く声を押し殺して泣いていた。私も凄い悲しかったけど、嫉妬心と亡失感で一杯だった。
お姉ちゃんの入った棺桶を見つめながら、思った。
あぁ、この人は本当に夫婦をやったんだ。夫婦をやったんだ。と、何度も頭の中で繰り返し考えた。
「お姉ちゃん…どういう奥さんだったの?」
「優しい人だったよ。…とても、優しい」
その言葉を聞いて、あぁ、と思う。
泣きそうで、泣きそうで、堪らなく泣きそうで、私は喉の奥にある、少し尖った痛みを押さえ込む。
「へぇぇ…。それに、お姉ちゃんってば綺麗だったもんね。勿体無いなぁ…。美人薄命ってヤツ? …ふふ」
そこまで言うと、パパが立ち上がって、私の頬をいきなり叩いた。
パシッ!と乾いた音が響き、私はよろめく。
「…場を考えろ」
私はキッ!とパパを睨み付けると、走り出した。庭へ向かう。うちは無駄に広い。その後をお兄ちゃんが追いかけた。
私が息を切らしながら庭に付くと、カコーン、と鹿威しが鳴る。
あれって意味不明だよね。面白いけどさ。
家から見えない位置に身を隠し、そこに座り込んだ。
追いかけてきたお義兄ちゃんが、私の視界に入る。
「喪主が抜けちゃいーけないんだー」
「はは…」
空笑い。
その笑い声を聞いて、私も不健康な笑いを漏らした。
「元気…だったのにねぇ…」
と、急に私は話題をお姉ちゃんの物にする。
「そう、だね」
私にデリカシーは無い。
「二人の馴れ初めって何?」
「は?」
私の急な振りに、お義兄ちゃんは戸惑った。
それに対して、間髪入れずに、会話を続ける。
「お義兄ちゃんが、お姉ちゃんを好きになったきっかけ」
そんな振りに、お義兄ちゃんはひくつくように笑うと、ゆっくりと口を開いた。
「美久ちゃん病気がちだったじゃない、昔さ。それで、お姉ちゃんが良く熱心に看病してたよね」
…。
そうだったなぁ、と、私は大して昔でも無い事を、まるで何十年も前の事かのように思い出す。
「参ったな、私がきっかけ? はははっ」
そう笑うと、お義兄ちゃんもクスリと笑った。
その笑顔が寂しげで、酷く滑稽で、お慈悲に預かる私の良心を苛んだ。
「良い人なんて…どこにだって居るよ。お姉ちゃんだけじゃないよ」
地面を見つめながら、私は一人、呟くようにして、そう言った。
背中にあの人の気配。見る事が出来ない。
「そう、美久ちゃんは良い人見つかったんだ?」
とっくにね。
それに、カッコ良い人なんて、いくらだって見つかるよ。
―――ずっと貴方が好きでした。
また、その時にそう言えれば…。何度も考えたよ。中学の頃から、何度も、クリスマスだの、正月だのってイベントがある度に、そう言えればって。
でも、泣き腫らしたお義兄ちゃんの顔を見ると、胸が詰まって何も言えない。
「ふふ…そうだよ、いっぱいね、いっぱい居るんだ」
だから、私の提案はいつも突飛で、まるで不謹慎なんだ。
「ねぇ、私とキスしない?」
にこっと笑って、あの時の様に、意中の人に抱き付いてみる。
そしてあざといまでに色っぽく語りかける。胸を、自慢の胸を押し付けながら。
胸が苦しい。
「お姉ちゃんと私って似てるでしょ。こう言うと笑うかも知れないけど、性格だってそっくしなんだから、癖もそっくりだと思うよ」
―――好みだってそっくりね…。
でも、お義兄ちゃんは体を固くしていた。
「いくらなんだって、そんなコト出来ないよ」
そっけない態度で、いつもの通り、私を拒絶する。
分かってたよ。
だから私は体を離して、呟く。
「…そうだよね、好きな人とするんだよね、キスは」
その口調は、思いの他情感が篭っていて、寂しさが出ていた。
お義兄ちゃんがこっちに振り向いた。ふと、お義兄ちゃんのズボンを見ると、その前が膨らんでいた。
一瞬驚いて、すぐに…ははぁんと気付いた。一回、自分の体を眺める。
私はくくっ…と笑う。
「お義兄ちゃん、前、テント張ってるよ」
指摘すると、お義兄ちゃんは真っ赤な顔になった。
「あ!? う、わっ…!」
大慌てで後ろに向きなおるお義兄ちゃん。ふふ、無意味。
「私の胸でおっきくしちゃったんでしょぉ」
「ご、ごめん…」
ポリポリと頭を掻くお義兄ちゃん。
「わっかいねー。やっぱ溜まってんの?」
と言うと、お義兄ちゃんは無言になった。
「…」
その空気が嫌で、私はわざとふざける様にして、お義兄ちゃんの背中に再度飛び付いた。
「わっ!」
「ふふふ、一回抜いとく?」
前に手を伸ばし、ズボンのベルトに手をかける。
お義兄ちゃんは大慌てで私の手を掴むと、私を体から引き剥がした。
「み、美久ちゃん! お姉ちゃんの葬式なんだよ…。今日は、お姉ちゃんの」
「知らないよ、そんなコト関係無いよ。したいなら、すれば良いじゃん。したいんでしょう?」
そこまで言うと、お義兄ちゃんは私を嫌な目で見た。
「美久ちゃん、もう…お姉ちゃんは帰って来ないんだよ? それなのに…」
言葉を切って、唾を飲み込んだ。
「それなのに、君は、…な、何とも思わないのかい?」
その言葉が、私の胸を深くえぐる。
「な、何よそれ…」
ひゅっ、と喉が鳴って、私の声が急にすぼまった。
「な、何、何よ、何よ」
目元に熱い物がこみ上げて、私は激情に飲まれる。
「わっ、私だって…、私が…一番…」
私の胸の中に渦巻く思い。
子供の頃から、ずっと、ずっと溜め込んでいたその思いが、私を絞め付け、苦しめる。
あぁ、優しい表情。なんて親切な。畜生、悪い思い出がとにかく必要だ。
お姉ちゃんはいつも元気で、明るくて、優しくて、ろくにケンカもしなかった。
嫌だ、嫌だ。泣きそうになる自分を、必死にお姉ちゃんの面影から遠ざけようとする。しかし、お姉ちゃんの面影は、決して私を離そうとしない。
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