n回目のキス

by 自己顕次


 乙女の夢とか言うヤツは全く契約的。
 貞節、また貞節。煩わしい履歴主義が、この両肩に圧し掛かってくる。
 あぁ、畜生。一度は一度、二度以降は、穢れているのか。
 生まれるのは一度だけ、初任給も一度だけ…。そして、ロストヴァージンも一回だけ? それは、手術で何とかなるさ。
 でも、キスは手術のしようもなく、一度は一度なんだ。

 もしも夢の中でキスしたら、それは数に数えない癖に、もしも酔っ払ってキスしたって、それも数に数えない癖に、何故、ただの同情のキスは数に含まれるんだろう。或いは、過失だって数に含まれる。
 女同士、子供同士、また、子供が大人にするキスは、数には含まれない。
 あぁ、畜生。数に含まれるキスはいつだって、何かを切っては捨て、切っては捨てる。プライバシーの、とても繊細でナイーブな領域は、何度も踏み越えられては、その回数を記録させる。

 これは三回目…、これは、あぁ、八回目…。あの人とキスする事を夢見て、それが叶わなかった時、私は回数を数え始めた。
 何度も繰り返される、無遠慮で無意味なそれは、私の日記に正の字を刻んでいく。
 それがびっしりと埋め尽くされると、次のページへ。また、次のページへ。契約的な関係が、私の貞節を踏み破っては、私にその記憶と傷跡を残していく。

 みな、取れる所から取る。それを期待する。私はそれに応える。それしかない。それしか有り得ない。
 上から下に落ちるようにして、ただ、そうなるべくしてそうなる。
 通り抜ける人間の数だけ、私の体は知られ、そして、捨てられる。簡便な関係でも、その数だけは記録され、私は中古になっていく。
 いつからだろう。酒を飲む。キスをする。セックスをする。そういう流れがまるで日常になったのは?
 奔放な女と笑うなら笑え。どうせ同情する奴は居ないだろうな。
 遊び疲れて眠る時、罪悪感がするのは誰のせいなのだろう。
 いくらするべき事をしても、誰も遊ぶ時間なんてくれない。次へ、もっと次へと急きたてる声が、私をまた駆り立てようとする。だからこそ、結局私をするべき事から遠ざけていった。

 それも、言い訳だって、嫌と言うほど分かってるさ。私に一つの勇気が足りない事くらい。
 ただ一回、私はあの時に言っていれば…。
 あと一つ、そこから持って行くだけで良かった。そんな思いを何回したって、チャンスが何回やって来たって、私はあの時、あの人にそれを言う訳には行かない。理由なんて無い。でも、そう思うしか、私を責める私の気持ちをなだめる事が出来ない。
 ルーレットが何度回ったとしても、目押しをするまで意中の目には止まらない。

 言える訳もないそのセリフを、あの人に一回だけ言えば良い。
 聡明で美しく、そして清廉で退屈なあの人へ。

 ―――私が「初めて」じゃなくても、愛してくれますか。…と。


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