彼のアパートに辿り着く頃には、もう日も変わろうとしていたか。扉を閉めた途端、強く抱きすくめられた。あの日と同じ、いや、それ以上に熱い唇を受け止め、胸の中の蕾が大きく膨らんでいった。
 靴を脱ぐのももどかしく部屋へ上がり、もつれ合うように狭い六畳間に倒れた。繰り返し降り落ちる口づけに、あるはずもない木立がざわめいた。嵐は嵐でも、彼のもたらす嵐は、桧山のそれとなんと違うことか。過ぎるのを待つのではなく、枝という枝を揺らして欲しくて、私は彼にしがみついた。コートの釦を外しながら、彼が耳たぶにも口づける。それは命の枯れ果てた枝を蘇らせる息吹にも似て。干からびていた隙間が、彼の唇によって見る間に潤っていく。これが情交するということか。この涙のこみ上げる寸前のような切なさこそが、官能であるのか。女になって三年にもなるというのに、私はそれらのひとつをも知らずに生きてきた。
 私も彼の衣服を奪った。その下にあるはずのあたたかい身体に、今すぐにでも辿り着きたかった。身体を隠す布など、憎い存在にしか思えなかった。互いの肌が露わになっていく。降り止むことを知らない口づけは、首筋に、肩口に、鎖骨に、そして乳房にも落ちた。
「言ったでしょう……」
 荒くなりはじめた呼吸を抑えて、彼が囁く。
「僕ならわからせることが出来ると……本当のあなたを」
「……くっ」
 首筋を下から上へ舌が這い、乳房を包むように揉まれ、息が詰まりそうになった。
「なぜかわかりますか? 僕が、愛しているからです。あなたも、僕を愛しているからです」
 感じていた。彼の掌が、唇が肌に触れるたびに、私は快感に打ち震えた。それは酷く不思議なようで、どこかでごく自然なことにも思えた。下肢が潤んでいくのがわかった。今はまだ隠された場所が、触れて欲しいと泣いていた。泣けることが、ひたすらに嬉しかった。
 私は欠陥品ではなかった。彼の言った通りだった。こんなにも、女だ。愛を感じた人に愛おしまれ、情熱的に求められさえすれば、全身で泣ける、女だったのだ。
 愛している。夫ではない、まだ見知って間もない男を。
 否定すべき感情なのは百も承知だった。しかし、この夜だけは正直になることを許された気がした。ただ自分の感情と、身体ごと愛を伝えてくれる彼にだけ向き合っていて良いと、許された気がしたのだ。
 脱ぎ散らかした衣服の上、二人とも産まれたままに近い姿で身体を重ねていた。ようやく辿り着けた彼の肌は、なぜこんなにもと訝しむほどの馴染みようだった。広い背中を掻き撫でながら口づけを受け止めていた。まだ繋がってなどいないのに、一体になっていると錯覚するほど、私たちの肌には違和感がなかった。それが嬉しくて、たまらなかった。
 太腿に当たっている、猛る彼自身に指を這わせた。熱くしているのは私なのだと思うと、これすらも愛おしかった。
 熱さが指から離れていった。彼の唇も降りていく。脇腹を辿り、臍へ。ゆっくりと、ショーツが降ろされていった。
 薄い布が取り去られると、微かに冷たさを感じるほどの潤みようだった。一体私のどこに、これだけの蜜は眠っていたのだろうか。それを疑問に思った瞬間、答えは突然私に降り下りた。

 花が、咲いたのだ。
 蕾が、ついにひらいたのだ。

 太陽と水を恵んでくれた人は、ショーツを降ろしながら太腿に口づけている。私の蜜は、尽きることなく溢れていく。
 彼はなんと大切に、そして狂おしく、私に口づけるのだろうか。私の中に咲いた花を、愛でるのであろうか。膝頭を舐め上げられ、私は小さく跳ねた。
「あ……の……そんなに……」
 足首からショーツが抜かれ、彼の唇が来た道を戻ろうとする。片腿を折るように上げられ、その内側にも舌が這った。彼の目にはきっと、茂みの下でしとどに濡れた花びらが映っていた。
「やめ、やめて……そんな風には誰にも……」
「これが……僕の愛し方です」
「あぁ!」
 太腿に舌を這わされたまま、指先で花びらをなぞられた。指の腹が、触れるか触れないかの強さでそこを滑った。
 蜜が溢れていれば、擦るのではなく滑らせることが出来るのだと、初めて知った。そこで得られる、喩えようもない快感も。
「すっかり花ひらいている。こんな風になったことはありましたか?」
 花芯に蜜を塗される心地よさに、背が反り返った。丸くそこを捏ねられ、思わず声が乱れた。
「あ……ありま……せん……んんっ」
「良かった……あると聞いたら、僕は狂ってしまいそうだ……」
「は……んっ……」
 彼の吐息が、花びらに近付いてくる。ひらいた花びらを、指で更に広げられた。つぅと、舌先が溝を舐め上げた。
「んくぅっ!」
 舌が蜜を掬うように、何度もそこをなぞる。花が震えた。震えは波紋になり、爪の先まで行き渡っていった。
「ぁあっ……あ、んあっ……」
 花芯を舌が絡め取った。濡れた音と共に唇の中に吸い込まれる。彼と自分の境目を、感じることが出来なくなった。しかし強烈なほど愛撫の快感はあり、せっぱ詰まった思いが体の奥底からせり上がりだした。
「あな……たのも……っ わたし、私だけがこん……な……っ」
 常に耐えることを強いられていた痛みではない、違う大きなものに、私は耐えていた。彼に手を伸ばしても、短く刈り込まれた髪にしか届かない。
「同じ事をされたら……僕はあなたを抱く前に、間違いなく果ててしまう」
 彼は言いながら、私をどこかへ追いつめていく。そこへ行き着きたいような、真っ直ぐ目指してはいけないような、甘美な苦しさ。
「ん……くうぅッ……いや……イ……ッ」
 解放が待っているとも知らず、私は震えの中で留まろうとしていた。それを押し出したのは、彼の指だった。緩んだ蜜壺のざらつきを数度擦られたとき、頂上へ押し上げられた。

 花が脈打っていた。
 生きている、と思った。
 削り取られ死につつあった私に、彼が命を与えてくれたのだと思った。
 知らぬ間に息を止めていたのか。身体は痺れ、呼吸は速かった。これが絶頂なのだと、言い知れない悦びに浸った。
 彼の唇が、私の唇に戻ってきた。花弁の中に熱いものがあてがわれた。押し広げられることが快感だった。痛みではなく、快感だった。
「はぁ……あ……あ……!」
「あぁ……」
 言葉にならない感嘆が、二人の口から同時に漏れた。こんなにも幸福なことだったとは。あたたかさと、熱さと、愛する者の形を感じることは、こんな悦びを伴うものだったとは。春に包まれながら、春を受け入れ、花はなお濡れてひらいていく。彼の頬に触れた。潤んだ瞳が私を見つめた。愛に溺れている男の表情とは、なんと艶めかしいものなのか。
「んっ……あっ! ……あぁっ!」
 彼のペニスが出て行こうとすると私の花びらは絡みつき、入ろうとすると貪欲にまとわりついた。豊かな水音と同じリズムで、私は声を漏らした。とめようにもとめられないほど、衝動的な声だった。
「う……瑞枝さん……あぁ……」
 口づけを交わしながら、徐々に激しさを増す律動を受け止める。木立が大きく揺れていた。なんて心地よい嵐。揺さぶられるごとにまた、身体の中心が一斉にざわめきだす。
 私は枯れた枝ではなかった。朽ちていれば、ぽきりと折れてしまうはずだ。瑞々しくあるからこそ、揺さぶられることを悦びに変え、花に蜜を滴らせることが出来るのだ。
 彼の言ったことは、何一つ間違っていなかった。間違っていたのは私だった。彼という日溜まりがあれば、春を忘れさえしなければ、私は枯れない花を、たった一輪でも大輪の花を、心の中にずっと抱いていくことが出来る。
 再び訪れようとする絶頂を前に、私はそう確信した。
 彼を、きつく、きつく抱きしめた。
「あっ……んん……来……るっ……!」
「ああ僕も……もう!」

 嵐がやんだ。
 あたたかくも涼やかな風は、木立と、そこに咲く花を優しく撫でていった。



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