桧山は、良い夫たる姿を他人に見せることも非常に好んでいた。桧山と同伴で誰かに会うときは、常に小綺麗に装い、愛想良くしろと言いつけられた。懇意にしている相手の前だけでなく、顔見知り程度の知人や、食事に行った先の店員にまでもそうすることを強要されていた。どちらかといえば内向的な私には難しい要求だったが、人前で萎縮していると家へ帰ったあとに容赦なく拳が飛んだ。お前は俺に恥をかかせたいのかと、幾度も殴りつけられた。
 外食することも比較的多かったように思う。むろん妻を大切に扱う良き夫としての姿を、外に向かって誇示する手段の一つだった。連れて行かれる店は規模の小さな店が多かった。有名な料理店やチェーン店よりも、自分を常連として特別扱いしてくれるような小さな店を好むのは、いかにも桧山らしい考え方だった。

 彼との出会いは、そこにあった。
 桧山の会社の傍にある、こぢんまりとした日本料理の店。彼はそこを一人で切り盛りしている、店長であり板長だった。

 これはきっとお好きだと思います、と出された蕗の煮付けが、母の味を彷彿とさせた。
「店長は同郷なんだよ。懐かしい味がするだろう」
 家においては見ることのない明るい笑顔で、桧山が言う。
「奥さんもご出身が同じらしいですね」
 声をかけられて、初めて彼の顔を見つめた。桧山とは違う柔和な笑顔が、檜のカウンター越しにあった。
「田舎の味というのは不思議なものですね。新しい味付けに挑戦しようと思っても、知らない間にこの味に戻ってしまうんです。体に染みついてしまっているんですかねぇ」
 若いのに言うことが爺むさいな、と桧山がからかう。桧山さんには敵わないなぁと、紺色の作務衣姿の青年がはにかむ。
 きっかけは、久しく忘れていた故郷の味を出されたことにあったろう。しかし、いつしか私は料理以上に、彼自身のあたたかな微笑みに対して、言葉では言い表せない感慨を抱きはじめていた。気付けば箸をとめて、まな板に向かう姿を見つめていた。季節は秋だったが、彼の周りには春を思わせる空気が取り巻いていた。
 出された料理は、全て私の口に合った。素材の味をねじ曲げたりはせず、元々ある味を優しく抱き起こすような味付けだった。どれもこれも美しく皿に盛られ、かといってお高くとまっている印象はなく、それを作った人―――彼の人柄が滲み出ているようだった。

「気に入って頂けましたか?」
 桧山が手洗いに席を立ったときだった。不意に彼に声をかけられ、私は少し戸惑った。「どれも美味しかったです」と答える声は、うわずってしまったと記憶している。「有り難うございます」と彼は微笑み、そこで会話は途絶えるかと思った。再びまな板に目を落とした彼が、包丁を握る手をとめてこちらをじっと見つめてきた。
「……どんな方だろうと思っていたんです」
 初めは何を言われているのか、わからなかった。しばらくして、それは私のことだと気付いた。
「私……ですか?」
「ええ。桧山さんと連れ添っていらっしゃる方は、どんな方なのだろうかと」
 なぜ彼はそんな興味を持つのだろう。とても、不思議なことだった。彼の真意が掴めず落ち着かない私は、縋るように湯飲みを握っていた。
「思った通りの方でした」
 笑顔を作りきれないといった表情で、彼は私を見つめていた。彼の思った通りとは。彼は一体何を思い描いていたのだろうか。
「すみません、こんな話は失礼でしたね。妙なことを言ってしまって申し訳ありませんでした」
 店内に他に客はいなかった。手際よく葱を刻む音だけが響いていた。何が失礼で、何が妙なことだったのか。それすらもわからず、私は刻まれていく葱を目で追っていた。包丁の動きが、またとまった。まな板に向かっていた顔が、躊躇いがちにこちらを向いた。
「……幸せ、ですか?」
 それに答える間もなく、桧山が席へ戻ってきた。

 幸せですか。
 初めて人に、そう問われた。
「幸せそうですね」
「いいご主人ですね」
「頼もしい旦那様で羨ましい」
 こう言われることはこれまでに多々あった。何せ桧山は、外では完璧な男であり、夫であったから。その得難い男性と連れ添っている私に、幸福かどうかを尋ねる人などいなかった。ただの一人も。

 家に帰ると、外出用の上着を脱ぐなり殴り飛ばされた。壁にしたたか身体を打ち付け、崩れるようにうずくまったところで、更に腹を蹴られた。
「お前、あの男に色目を使っていただろう」
 むせながら、あの男とは一体誰のことかと自問した。わからなかった。
「ちょっと若い男ならお前は誰でもいいのか!」
 胸ぐらを掴まれて引っ張り上げられ、激しく揺すられた。何も考えることが出来なかった。嵐に翻弄される小枝のように、私は桧山の暴力に対し無力だった。咳き込んで答えられない私を、桧山は畳に叩きつけた。すぐさまスカートの中に腕が突っ込まれた。桧山の爪が引っかかったのだろう、ストッキングとショーツを引き剥がされる際に、太腿を抉られるような痛みが走った。
 蛍光灯の下、スカートをまくられ剥き出しになった下半身を、大きく広げられる。なぜこんな乱暴を受けなければならないのかわからないまま、何に対して謝罪しているかもわからないまま、私はひたすら桧山にごめんなさいと謝り続けた。乾ききったそこは簡単に男を受け入れることが出来ず、業を煮やした桧山は私の唇にペニスを押しつけた。受け入れなければまた殴られる。私は大人しくそれに舌を伸ばした。
「ははは……お前は娼婦か。目の前にちんちんがあれば舐めるのか。そんなにこれが好きか」
 謂われのない侮辱を受けているにもかかわらず、私の心は空虚だった。涙すら出てこなかった。ただただ、この嵐のようなひとときが早く過ぎ去って欲しい一心で、口の中のペニスを頬張った。唾液で湿ったペニスを、再び膣口にあてがわれた。いつまで経っても慣れることのない痛みを、私は耐えるしかなかった。
 ブラウスを左右に引き裂かれ、ブラジャーを力任せにずり上げられた。鷲づかみにされた両の乳房が、醜く変形した。紅潮した桧山の顔も、猥褻に歪んでいた。
「お前は好き者だ。濡れているぞ、聞こえるかこの音が。淫乱な女め!」
 音など何も耳に入ってこなかった。最初に殴られたときから耳鳴りが止まずにいた。桧山の耳には、何が聞こえていたのだろうか。
 内臓を潰すような勢いで、幾度も突かれた。外から腹を蹴られた痛みと、内から殴られる痛みで、気が遠くなっていくのを感じた。私が意識を手離そうとする寸前に、桧山はひときわ激しい律動を加え、腰を押しつけたまま動かなくなった。
膣内に射精されたのだとわかった。初めてのことだった。
 遠ざかっていく意識の中、幸せですかと問いかけてきた彼の顔が、頭に浮かんで消えていった。



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