私たちは夫婦ではなく、王と奴隷であった。家庭は彼の王国だ。王に選ばれ買われた私に、拒否権は与えられていなかった。私は常に、彼の顔色を伺いながら暮らしていた。

「根本までゆっくりと飲み込め」
 王が命令する。私は返事の代わりに、王のペニスを口内へ納めていく。やがて喉の奥に当たるまで飲み込むと、次の命令が下される。
「裏筋を舐めろ。根本からなぞるように」
 圧迫されることでこみ上げる吐き気を抑えながら、尖らせた舌を命令通り這わす。歯を立てぬように気を付けなければならない。うっかりと噛んでしまい、憤激された過去の恐ろしさが蘇ってくる。
 興が乗ってくると、王は私の髪を掴み、好きなように揺さぶった。こうされる時が一番苦しく、そして痛みを与えぬようにいっそうの注意が必要だった。フェラチオをさせるようになってからの桧山は、挿入せずに一人で果てることが多くなった。口の中に出された精液は、飲み下すことしか許されなかった。
 仰向けに寝転がり、そこに私が覆い被さるような形でのフェラチオも彼は好んだ。その場合は私が、彼の顔をまたぐように股間をひらく。彼は眼前にある女性器をしげしげと見つめたり、好きなように指で弄ることを愉しんでいるようだった。左右の肉を割って中の襞を撫でたり、中へ続く路へ指を突き立てたり、与えられた玩具を弄るがごとく、思う様扱った。
 私は羞恥心を捨てつつあった。捨て去らないと、王に仕えていくことは出来なかった。




 そんな結婚生活が、三年ほど経過しようとしていた。この頃にはもう、桧山がなぜ私との結婚を決めたのか、わかりすぎるほどわかってしまっていた。

 何を要求しても逆らうことをしなさそうな従順な女。
 ストレスのはけ口にしても、それを甘んじて忍んでいきそうな女。
 もし現況を知ったとしても、強いことを言える男の存在を身内に持たない女。
 何より、不満を抱えながらも抗議を口に出来ないばりか、誰かに助けを求めることも出来ない、意気地のない女。

 そこまでわかっていながら、愛情など初めから存在しなかったのだと知っていながら、私はこの結婚生活にしがみついていた。
 母を悲しませるようなことはしたくなかったのだ。
 桧山は母にとって、結婚前と変わらず、頼りになり娘を幸せにしてくれる男という存在だった。盆と正月には必ず土産を携えて里帰りに付き合い、自分の実家よりも大事にしているというそぶりさえ見せた。
「お母さんおひとりですからね……いや、うちのことはいいんですよ、まだ両親とも健在ですし、兄も妹もいますしね。大事な一人娘を頂いたんです。その実家も大切にしないと、バチが当たりますよ」
 ああ、これが彼の心からの言葉であったらどんなに良かったか……!
 二人きりでいるときとはうって変わって、優しく頼もしい婿を演じる桧山の姿に、私は何度も苦しい涙がこぼれそうになるのを辛抱した。そんな私の姿を見ることが、桧山一流の欣快を得る手段であるなどと気付くこともなかった。あまつさえ、義母に対し不満を漏らすことなく、嫁の至らなさを隠しておいてくれる夫に感謝の念まで抱いていた。それはやがて、この世でたった一人、私さえ我慢していけば、全てが平穏に巧く流れていくのだという錯覚を招いていくことになった。
 取るに足りない私。女としても妻としても、人としてすらも欠陥品である私。こんな私は、少しばかりのことは我慢するべきなのだ。我慢することでしか生きていくことを許されないのだ。これが私という人間に相応しい人生なのだ、と。

 夫婦間のひずみなどとは、もはや言えないレベルのものだったろう。桧山の望む通りの奴隷に、私は仕立て上げられつつあった。
 しかし完璧な形になるには至らなかった。私の精神は崩壊し始めていた。
 精神の崩壊は、肉体をも蝕み始めた。その三年で十キロは痩せた。慢性的な胃炎を患った。何カ所も髪が抜け落ちた。私の身体が悲鳴を上げていることなどお構いなしに、ついには些細なことで殴られるようになった。




 思い出すだけで、吐き気と、その時の恐ろしさが襲いかかってくるような記憶の数々。だけど、私はもうそれに負けたりはしない。繰り返し、アドレス帳に指を滑らせる。彼とのあの一夜が、全てを振り出しに戻してくれたから。削り取られていった私は、彼が再び与えてくれたから。



NEXT TOP