夏の終わりに
2004.09.04 Saturday 16:43
Y
「あーあ。低学年のときは、書くの楽しくてしょうがなかったんだけどなー」
>○○が××で、△▲△するのがおもしろかったです。
>わたしもやってみたいなぁとおもいました。
低学年だったらこれでOKだし。大きくなったら、そうもいきません。
その差はどこにあるのかなと考察。
本を読んだ感想を書きましょうといわれて、素直にスラスラ書けた小さい頃。
そこにあるのは、読んだー、楽しかったー、それだけ。
本を読むときは、勿論それでイイんですけどね。
思うに、真っ白な原稿用紙を前にして呻吟するのは、
『読み手』の存在を、前提としているからではないかと。
自分はこの本を読んで、此処を面白いと思った。何故ならこんな風に考えているからだ。
そう書くことは、○○を面白いと感じる、自分の中身を晒すことに他なりません。
こんな事書いて、おかしいと思われやしないか。
まして最初の読み手は、学校の先生だから、
「つまんなくて退屈な本でした。プロローグとエピローグしか読んでません」なんて、書けねー!
もしかしたら、文集とかに載っちゃったりして、友達とか親やらに読まれちゃう?
うへぇ、恥ずかしいぞ。もうちょっと格好つけないと。
つまり、他者を意識する社会性が芽生えてる証拠なわけで。
ためしに「読書感想文」のキーワードで検索をかけてみます。
沢山サイトあるなあ。今の中・高校生は便利だぞ。
調べてみると、
>読書感想文に「感想」を書いたらダメ。感想文は「生活作文」である。
>自分の体験を作文的に書く。要は創作である。
そうだったのかー。
じゃあ「本を読んで自分の体験を振り返る作文」とかにしろよ、名称を。
読書感想文に感想を書かないとしても。 <?
文章のどこかに漏れ出てしまう、自分の考えみたいなものを晒すのは、
恥ずかしかったり、躊躇があったりします。
「ふー。どうしたらスラスラ書けるんだろう?」
「テーマ決めたら開き直って突っ走れ。命まで取られる訳じゃない。書き上げて早く楽になれっ!」
↑
こうアドバイスしましたけど、間違っていませんよね?!
いや、むしろ自分に言ってやりたい。このセリフ。
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