2006.01.06 Friday 00:06
Y
酒を運んできた、お峰の後ろから、「女将さん、藤の間にご挨拶を願います」と声がかかる。おせんの店は、なかなか繁盛しているようである。
「すまねぇな。名はなんていうんだい」
おせんが中座した奥の間で、酌を受けながら、辰次は訊ねた。
「お峰と、申します」
辰次が杯を干すと、お峰は今にも笑い出しそうに、口元に手を当てている。先ほど池の傍で見た表情とは打って変わって、年相応の愛らしさがあった。
「どうした。俺の顔になんか付いてるか」
「親分さんとは、ずっと以前にお目にかかった事があります」
辰次のどんぐり眼を、ますます大きくさせるような事を云った。
お峰の生家は、王子稲荷参道の茶店だと云う。探索の折に辰次が立ち寄ったのが、四年ほど前だというから、茂蔵親分の下で働き始めた時分だなと思った。
「たった一度立ち寄っただけなのに、よく覚えていたなぁ」
つきだしの、よく味の染みた蒟蒻を口に放りこんで、辰次が呟くと、
「親の手伝いをして偉いねぇと、褒めて下さいました」
お峰も懐かしそうに微笑む。笑うと細められる目元や花がほころんだような唇に、陽だまりで甘酒を啜った日を、辰次は記憶に蘇らせた。
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